内戦とレコンキスタ
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「ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ」の記事における「内戦とレコンキスタ」の解説
はじめ王弟ドン・アルフォンソに仕え、彼の死後はイサベル1世に仕えた。1474年、イサベル1世がカスティーリャ女王に即位すると、ポルトガル王アフォンソ5世は妻のフアナ(先王エンリケ4世の娘)の継承権を主張してカスティーリャに侵攻を開始、国内のフアナ支持派も立ち上がり、内戦に突入した。この戦争においてゴンサロは、サンティアゴ騎士団長アロンソ・デ・カルデナスの指揮下で戦った。アルベラの戦いの後、アロンソ・デ・カルデナスはゴンサロが常に前線に立っていたことを賞して褒美を与えた。ゴンサロは豪奢な鎧を身に着けていたため、非常に目立ったのである。 ゴンサロの軍人としての優れた資質は、早くもこの頃から現れ始めていた。一介の士官でありながら、まるで将軍のように鋭敏な知性と広い視野を持ち、また非常に忍耐強かった。一度戦いに入ると、無謀なほど大胆不敵な行動で周囲を驚かせた。すぐに評判は高まり、常に前線に立つゴンサロは兵士たちの尊敬を集め、彼のためなら献身を惜しまないようになった。戦争そのものは、イサベルの夫フェルナンドの協力によってイサベル派が優勢となった。1476年、トロの戦いでポルトガルは敗北し、1479年にアフォンソ5世はイサベルの王位継承を承認した。 1482年からカスティーリャは、イベリア半島に残った最後のイスラム国家グラナダ王国(ナスル朝)への侵攻を開始した。この戦争においてゴンサロは、サンティアゴ騎士団長となっていた兄ドン・アロンソの指揮下に入った。上官である兄と積極的に意見を交わすことができたことは、ゴンサロにとって大きな意味を持っていた。戦いは都市をめぐる攻防戦と、地の利を活用したグラナダ軍の奇襲の連続だった。両軍ともに工兵とゲリラを盛んに活用した。 ゴンサロの功績としてしばしば取り上げられるのが、イリョラにおけるイサベル1世の護衛である。イサベルはグラナダの戦況を視察しようと、前線観測所のイリョラへ向かい、ゴンサロに護衛を命じた。イリョラに到着したところでグラナダ側の守備隊が出撃してきたので、ゴンサロはイサベルの目の前でこれを撃退した。このためにイサベルはゴンサロを評価するようになったという。1492年、およそ10年にわたる戦いの末に、グラナダはカスティーリャに降伏、ここにレコンキスタは完結した。開城の際にゴンサロは、グラナダ側と協定を結ぶ使者の一人となり、戦後は多くの領地を与えられた。
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