内戦とレコンキスタとは? わかりやすく解説

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内戦とレコンキスタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 23:24 UTC 版)

ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ」の記事における「内戦とレコンキスタ」の解説

はじめ王弟ドン・アルフォンソに仕え彼の死後イサベル1世仕えた1474年イサベル1世カスティーリャ女王即位すると、ポルトガル王アフォンソ5世は妻のフアナ先王エンリケ4世の娘)の継承主張してカスティーリャ侵攻開始国内フアナ支持派立ち上がり内戦突入した。この戦争においてゴンサロは、サンティアゴ騎士団長アロンソ・デ・カルデナスの指揮下で戦ったアルベラの戦いの後、アロンソ・デ・カルデナスはゴンサロが常に前線立っていたことを賞して褒美与えたゴンサロ豪奢な鎧を身に着けていたため、非常に目立ったのであるゴンサロ軍人としての優れた資質は、早くもこの頃から現れ始めていた。一介士官ありながら、まるで将軍のように鋭敏な知性と広い視野持ち、また非常に忍耐強かった一度戦いに入ると、無謀なほど大胆不敵な行動周囲驚かせた。すぐに評判高まり、常に前線に立つゴンサロ兵士たち尊敬集め彼のためなら献身惜しまないようになった戦争そのものは、イサベルの夫フェルナンド協力によってイサベル派が優勢となった1476年トロ戦いでポルトガル敗北し1479年アフォンソ5世イサベル王位継承承認した1482年からカスティーリャは、イベリア半島残った最後イスラム国家グラナダ王国ナスル朝)への侵攻開始した。この戦争においてゴンサロは、サンティアゴ騎士団となっていた兄ドン・アロンソの指揮下に入った上官である兄と積極的に意見を交わすことができたことは、ゴンサロにとって大きな意味を持っていた。戦い都市をめぐる攻防戦と、地の利活用したグラナダ軍の奇襲連続だった。両軍ともに工兵ゲリラ盛んに活用したゴンサロ功績としてしばしば取り上げられるのが、イリョラにおけるイサベル1世護衛である。イサベルグラナダ戦況視察しようと、前線観測所のイリョラへ向かいゴンサロ護衛命じた。イリョラに到着したところでグラナダ側の守備隊出撃してきたので、ゴンサロイサベル目の前でこれを撃退したこのためイサベルゴンサロ評価するようになったという。1492年、およそ10年にわたる戦いの末に、グラナダカスティーリャ降伏、ここにレコンキスタ完結した開城の際にゴンサロは、グラナダ側と協定を結ぶ使者一人となり、戦後多く領地与えられた。

※この「内戦とレコンキスタ」の解説は、「ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ」の解説の一部です。
「内戦とレコンキスタ」を含む「ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ」の記事については、「ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ」の概要を参照ください。

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