内原訓練所の日輪兵舎
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加藤完治が初代所長となった満蒙開拓青少年義勇軍訓練所(内原訓練所)には、建築家古賀弘人の設計による日輪兵舎が、開設当初でも100棟近く建てられていた。開拓訓練生の共同宿舎兼教室として建てられた日輪兵舎は、標準形で1棟におよそ60人を収容できる宿舎であるが、建築の素人である訓練生が自力で建てられることを念頭に設計されており、建設費用も抑えられていたという。円形であるため建物に方向というものがないことは部材の単純化にも役立ち、60人でかかれば1日で日輪兵舎1棟を建てられたという。当時の記事によると、素人の少年40名で即日1棟完成でき、当時中流住宅の建造費が坪単位約100円のところ日輪兵舎は10円で済んだという。また日輪のモチーフは天皇崇拝との親和性も高かった。内原訓練所内には、終戦時までに347棟の日輪兵舎が建てられていたとされる。 内原の「日輪兵舎」を「ひのまる兵舎」と呼ぶ向きもあったようで、一部の新聞記事では「日輪」に「ひのまる」とルビを振っている例が見いだされる。特異な姿が注目され、ニュース映画で報じられたほか、小説、演劇、歌などの題材にされた。 戦後、内原の日輪兵舎は徐々に解体撤去され、オリジナルは残っていない。内原町郷土史・義勇軍史料館には、屋外展示として復元された1棟がある。 内原訓練所全景 内原訓練所本部
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