佐野利器
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佐野 利器(さの としかた、1880年(明治13年)4月11日 - 1956年(昭和31年)12月5日)は、日本の建築家、建築構造学者。東京帝国大学教授、日本大学教授、清水組副社長を歴任。1950年日本学士院会員。
- ^ a b 内田祥三 (PDF) INAX REPORT 172号
- ^ a b c 「佐野利器」 - 白鷹町
- ^ 『都市をつくった巨匠たち: シティプランナーの横顔』都市みらい推進機構, ぎょうせい, 2004
- ^ 意匠は清水組技師の田辺淳吉による。後の関東大震災では地震に耐えたが、周囲の激しい火災により鉄骨が飴のように曲がってしまい、貴重な洋書の多数を焼失する結果になった。
- ^ 家屋耐震構造要梗(現代語訳)株式会社ストラクチャー
- ^ 震災予防調査会報告(1917年10月1日)83号甲
- ^ 越澤明『後藤新平 大震災と帝都復興』ちくま新書、2011年(平成23年)、169-176頁。
- ^ 利器は技術に立脚して国論を展開することを旨とし、工学理論を実践することを目的に日本工人倶楽部(1920年)内に「技術経済協会」を設け、技術の立場から社会を見つめなおそうとした。さらにこれを具体に展開するために振興委員会を倶楽部内を設置し、その初代委員長に就任。この活動の1つである実践教育の場として、「高等工学校」を提案した。これが総合大学化を進めていた日本大学の主旨と合致し、高等工学校が誕生した。
- ^ a b 関東大震災の住宅供給活動と同潤会の住宅供給『集合住宅における経年的住環境運営に関する研究』大月敏雄、東京大学、1996
- ^ 駄場裕司『後藤新平をめぐる権力構造の研究』(南窓社、2007年)174-176頁。
- ^ 越澤明『後藤新平 大震災と帝都復興』ちくま新書、2011年(平成23年)、243-252頁、278-283頁。
- ^ 「復興建築助成株式会社」と「共同建築」 (PDF)
- ^ 『官報』第1846号「叙任及辞令」1918年9月27日。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- ^ 六義園を囲む大和郷における 共同住宅新設による周辺地域への生活権 侵害 (PDF) 水島信
- ^ 震度法 と修正震度法
- ^ a b “この人、この一冊 第3回佐野利器の『住宅論』/「すまいろん」図書室だより/住総研図書室 |一般財団法人住総研”. www.jusoken.or.jp. 2024年2月21日閲覧。
- ^ 『 復興小学校』 1 - a-cubit
- ^ “Engineer-Architects Association/エンジニア・アーキテクト協会 > SPECIAL ISSUE > 土木のデザイン、その変化と可能性”. www.engineer-architect.jp. 2024年2月21日閲覧。
- ^ 建築学会 とコ ンク リー ト
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