仏教一般における止行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/19 16:14 UTC 版)
詳細は「止観」を参照 「止」は静かな澄み切った心の状態であり、こうした上で対象を正しく観察するということが観(かん、巴: vipassanā)であり、不離の関係にあり併せて止観という。このため、観とで、鳥の双翼あるいは、車の車輪のようにたとえられる。対象に集中するという瞑想は、仏教以外の修行でも共通する修行であり特別なことではないが、他の修行を実践するための土台となる。 大乗仏教では止に対する5つの障害があるとし、心が重い懈怠(けだい)、注意深さのない失念、心が対象をとらえず沈む惛沈(こんじん)と対象にとどまらず散ってしまう掉挙(じょうこ)、惛沈・掉挙に結びついていることそれ自体、不要な時にこれら障害を対抗する実践を行っていることである。懈怠に対しては信仰と決断力と努力と心の巧妙さ(信、欲、勤、軽安)であり、失念に対抗するのは念であり、惛沈・掉挙には正知であり、探求心と心の落ち着きが残りに対抗する。
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