じんこうろん【人口論】
人口論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 03:32 UTC 版)
『人口論』(じんこうろん、An Essay on the Principle of Population)は、トマス・ロバート・マルサスによる人口学の古典的著作である。
- ^ マルサスは人口と生活資源の増加が不均衡であることについて、次のような具体的な状況を想定している。ある島国の人口は約700万名で、生活資源となる生産物がこの人口を充足させる分量だけ存在すると仮定する。25年ごとに人口は幾何級数的に1400万、2800万、5600万と増加するが、食物は算術級数的に1400万、2100万、2800万としか増加しない。1世紀の終わりには人口が1億1200万名で生活資源は3500万名分の不均衡が発生することになる。この議論は地球全体にも適用できる議論であり、仮に全世界の人口が10億名であり、生活資源は充足しているという状況を想定すると225年後の人口と生活資源の比率は512対10となり、3世紀後には4096対13まで拡大する
- ^ a b 独立行政法人農業環境技術研究所「情報:農業と環境 No.104 (2008年12月1日) 化学肥料の功績と土壌肥料学」
- ^ 介在的原因とはある産業の開始や失敗、農業の衰退や農業の豊凶、戦争、労働力の節約、労賃と物価の相違などである。
人口論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 04:16 UTC 版)
洪亮吉は『治平篇』という著作の中で中国の人口増加について述べている。清朝は人口が急激かつ大量に増加した時代で、1651年から1661年の間では1億ほどだった人口が、1785年から1791年の間では3億に達している。洪亮吉は田地の増加が人口の増加に追いつかないことを述べ、「田地は常に不足し、戸数は常に余っている」と述べている。人口問題に関心がなかった当時、この問題の重大性に気づいた彼の慧眼がうかがえよう。 洪亮吉の人口論は、偶然にもトマス・ロバート・マルサスのそれと内容が符合していたが、彼の『治平篇』は1793年に完成しており、マルサスの『人口論』の完成の5年前のことであった。
※この「人口論」の解説は、「洪亮吉」の解説の一部です。
「人口論」を含む「洪亮吉」の記事については、「洪亮吉」の概要を参照ください。
- 人口論のページへのリンク