京漢作戦とは? わかりやすく解説

京漢作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 17:19 UTC 版)

歩兵第227連隊」の記事における「京漢作戦」の解説

1944年昭和19年大陸打通作戦参戦河南省開封移動し4月17日23時中牟で新黄河渡河開始佐藤正大尉率い第一大隊は、途中電話線盗聴し中国軍に気づかれていないことを確認しながら、時速6kmないし8kmの半ば駆け足鄭州に向かう。中国軍背後を衝き、19日黎明太田武男中尉率い第一中隊朝靄のなか鄭州城の城壁よじ登り占領する20日から皆藤喜代志大佐率い連隊主力付近掃討当初の予定上回る戦果をあげた。 なお第二大隊連隊とは別に18日03時頃に渡河開始20日師団主力とともに郭店に進出21日新鄭に向かう。23日には歩兵225連隊密県占領作戦順調な推移を受け新鄭集結した師団暫時休養した28日行動再開し30日には許昌占領続いて第一大隊5月3日南進行動中の第27師団指揮下に入り郾城攻撃5日占領した。ここで進路を西に転じ盧氏付近まで進出するが、その後反転して37師団郾城南方集結6月下旬南進開始した6月も末であり、かなり気温も高い毎日であったが、西平から遂平へと南下し次の確山では想像つかない寒波襲われた。初夏の候というのに零下何度という猛烈な寒さ暴風とともに襲ってきたのである。この異常気象二日間続いた。そして天候回復する太陽沃野照らし始めた。幸い第37師団深刻な損害を被ることはなく、1ヶ月半前の第27師団の「長台関の悲劇」の跡を目の当たりしながら南進続けた6月末信陽に到着一週間ほど信陽滞在し武昌方面への集結を命ぜられ、第一大隊先遣第一中隊7月5日武漢着いた

※この「京漢作戦」の解説は、「歩兵第227連隊」の解説の一部です。
「京漢作戦」を含む「歩兵第227連隊」の記事については、「歩兵第227連隊」の概要を参照ください。

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