二条教基とは? わかりやすく解説

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二条教基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/24 08:09 UTC 版)

二条 教基(にじょう のりもと)は、南北朝時代公卿歌人関白二条師基の子。官位は関白、左大臣南朝に仕えた。


  1. ^ a b 『南山要記』には天授2年5月21日1376年6月8日)に55歳で薨じたとあり、これから逆算すると生誕は元亨2年(1322年)となるが、固より信憑性に乏しい。
  2. ^ 近世の偽書とされる『南朝公卿補任』によれば、教基の官歴は以下のとおりである(『系図纂要』も同様)。
    延元4年(1339年)従三位、興国2年(1341年)権中納言正三位、同4年(1343年)権大納言、同5年(1344年)従二位、正平2年(1347年)左大将正二位、同8年(1353年)内大臣、同9年(1354年)従一位、同10年(1355年)右大臣、同11年(1356年)関白氏長者、同13年(1358年)左大臣、同20年(1365年)辞職、天授3年(1377年)出家。
  3. ^ 園太暦』観応元年9月28日条
  4. ^ 『園太暦』文和2年6月10日条
  5. ^ 『園太暦』文和2年7月17日条
  6. ^ 天野山金剛寺古記』「日経疏第三愚草本」奥書金剛寺は当時の行宮であり、奥書には、「当殿下」(教基か)が寺中の塔坊を宿所としていたことが見える。
  7. ^ 太平記』巻37「新将軍京落事」。『神護寺交衆任日次第』同月8日条にも「宮方軍勢二条関白、帥大納言師基御息入京」とあり、この関白は教基に比定される。
  8. ^ 『太平記』巻34「銀嵩軍事」。『続史愚抄』を始め、一般には父の師基に比定されている。
  9. ^ a b 村田 「村手重雄氏蔵後村上天皇宸翰の考証」(『村田正志著作集 第1巻 増補南北朝史論』 思文閣出版、1983年。初出は1951年)


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