九州一の富豪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 14:37 UTC 版)
太兵衛の嫡男、第5代の太左衛門は、海運業をさらに発展させ、寛政年間(1789年-1801年)には、日本の長者263名の中の一人に入り、九州一の富豪となった。 寛政10年(1798年)、保養のため第9代藩主島津斉宣が指宿村の長井温泉を訪れた際、太左衛門は、十二町の自宅内に「御座間」と称する貴賓室を新築し、島津家の別荘とした。 歴代藩主は、長井温泉や後に二月田温泉に保養に来た際には、必ず濵崎家のこの別荘に逗留したといわれる。濵崎家は、屋敷の西側の通りを「御本陣馬場」と呼び、死者の棺が通ったり、青年などが放歌したりすることが禁じていた。 太左衛門は、寛政10年(1798年)魚見岳南面の岩窟に私財を投じて風穴神社を創建した。 天保14年(1843年)に刊行された「三国名勝図会」にも「風穴祠 拾九町村、東方、魚見峯南面の下の岩窟にあり、天智帝田良浦に御着船ありて、風穴に至り、神楽を奏ぜられしといふ、十月中丑日、風祭の式あり寛政十年、石祠を建つ。」と記載されている。 太左衛門は、長井温泉に湯権現も創建した。天保2年(1831年)、島津家の別荘が長井温泉から二月田温泉に移った際、湯権現も一緒に遷座した。 また、湊地区にある稲荷神社の創建も太左衛門が行ったと伝えられている。現在、稲荷神社の境内には、第8代太平次の功績を称える頌徳碑が昭和7年(1932年)建立されている。
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