丹波漆の復活と現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/19 09:52 UTC 版)
「夜久野町における丹波漆と漆搔き」の記事における「丹波漆の復活と現状」の解説
全国の漆産業が衰退していく中、丹波漆が今日まで継承されているのは、衣川光治(1911-94)氏による功績が大きい。衣川氏は、1948年(昭和23年)に丹波漆生産組合を立ち上げるとともに、苗木の育成から植林、生産と、丹波の漆産業を支えてきた。こうした衣川氏の志を受け継ぎ、1986年(昭和61年)に30~40歳代の農業青年数人から丹波漆生産組合が再構成され、日本各地の同業者や研究者との交流が行われ、漆の研究に力が注がれるようになった。 京都府教育委員会は1991年(平成3年)4月19日付で、丹波漆生産組合あてに漆掻きの技を「丹波の漆掻き」として京都府指定無形民俗文化財に指定した。さらに、1999年(平成11年)にオープンした「農匠の郷やくの」の「やくの木と漆の館」では丹波漆関連の展示と漆器製作、漆樹細工の民芸品つくりなどが試みられている。また、2009年(平成21年)には、文化庁から夜久野の漆植栽地が「ふるさと文化財の森」に設定されている。 2012年(平成24年)には、NPO法人丹波漆が設立され、丹波漆の普及に尽力している。
※この「丹波漆の復活と現状」の解説は、「夜久野町における丹波漆と漆搔き」の解説の一部です。
「丹波漆の復活と現状」を含む「夜久野町における丹波漆と漆搔き」の記事については、「夜久野町における丹波漆と漆搔き」の概要を参照ください。
- 丹波漆の復活と現状のページへのリンク