中華民国・新疆省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:37 UTC 版)
「新疆省」も参照 辛亥革命によって清が滅亡した際、東トルキスタンはイリ地方の軍事政権(哥老会、広福)、東部の新疆省勢力圏などに分かれたが、やがて漢人勢力(袁大化、楊増新)の新疆省がイリ地方を取り込んだ。 この結果、藩部のうち、民族政権が維持されていたチベットとモンゴルは手をたずさえて「中国とは別個の国家」であることを宣言(チベット・モンゴル相互承認条約)したのに対し、漢人科挙官僚によって直接支配が維持された東トルキスタンは、中華民国への合流を表明することとなった。 ただし、中華民国中央が軍閥による内戦状態にあったため、新疆省は以後数十年に渡り事実上の独立国(楊増新、金樹仁、盛世才)のような状態であった。
※この「中華民国・新疆省」の解説は、「東トルキスタン」の解説の一部です。
「中華民国・新疆省」を含む「東トルキスタン」の記事については、「東トルキスタン」の概要を参照ください。
- 中華民国・新疆省のページへのリンク