下積み時代
下積み時代
下積み時代(1961年 - 1966年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 23:07 UTC 版)
「リッチー・ブラックモア」の記事における「下積み時代(1961年 - 1966年)」の解説
1961年、初のプロ・ユース・エレクトリックギター、ギブソンES335を手に入れる。その後、学校を卒業したブラックモアはロンドンのヒースロー空港で技師として働き始めるが、音楽への情熱を捨てきれず、ジャズ・ギターの練習やバンド活動にいそしんでいた。またこの頃から、スキッフル・バンドのザ・ドミネイションズやザ・サフォナイツ、ザ・デトネイターズ、マイク・ディーン・アンド・ザ・ジェイウォーカーズといったローカル・バンドでセッションを行っていた。 1961年以降、そういった活動に見切りをつけ、ドイツのハンブルクに渡った時、スター・クラブ(英語版)でスクリーミング・ロード・サッチと出会い、セッションを行った。さらに後日、ブラックモアを気に入ったロード・サッチは、自身のバンドであるロード・サッチ・アンド・ヒズ・サベージス に加入させた。ロード・サッチという人物は音楽的な実力よりもショーマンとしての能力に秀でていると評されているミュージシャンであり、このバンドに在籍した2年間、ロード・サッチは、実力はあっても地味な印象しかなかったブラックモアにメイクをさせ、ステージで大きなアクションをするように要請した。ロード・サッチとのセッションと平行して、「テルスター(英語版)」 のヒットで知られるトルネイドースのレコーディング・セッションなどもこなし、次第に実績を蓄えていく。 1963年からは、RGMスタジオのセッション・ミュージシャンとなり、トム・ジョーンズや上記のテルスターで知られる売れっ子プロデューサーのジョー・ミーク (Joe Meek) の下で多くのセッション活動をこなした。同年、トーネイドーズのベーシストでもあった歌手ハインツ・バート (Heinz) の伴奏を務めている。6月には再度ハンブルクに行き、ジョー・ミークの関連でジ・アウトローズ(The Outlaws) に加入した。アウトローズはメインとしてレコードを出す傍ら、上記のハインツやジーン・ヴィンセントの伴奏も手がけているが、1964年5月に脱退。リッチーを気に入っていたハインツの要請で、彼のバンドであるハインツ・アンド・ザ・ワイルド・ボーイズにリーダーとして加入したが、音楽的な限界を感じて翌1965年に脱退し、ロード・サッチ・アンド・ヒズ・サベージスに再加入している。ジェフ・ベックやジミー・ペイジと短期間セッションを行ったのもこの頃である。 1966年、二人の友人とハンブルクに再々渡航し、スリー・マスケティアーズを結成するが、すぐに解散、さらにマンドレイク・ルートというバンドを結成するが、資金面の困難さからすぐに消滅してしまう。低迷した時期だったが、この頃クリス・カーティス (Chris Curtis) やイアン・ペイスと知り合ってもいる。
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