上皇后時代とは? わかりやすく解説

上皇后時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:31 UTC 版)

上皇后美智子」の記事における「上皇后時代」の解説

2016年平成28年8月8日国民向けたビデオメッセージとして全国放送された「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」の録画収録の際には、その場にも同伴した2017年平成29年6月9日天皇の退位等に関する皇室典範特例法成立202年ぶりとなる天皇譲位実現することとなった。 これにより夫・明仁2019年平成31年4月30日退位し、翌(令和元年5月1日長男皇太子徳仁親王第126代天皇即位することに伴い皇太子徳仁親王妃雅子立后した。 美智子称号は「上皇后じょうこうごう)」となった。前皇后称号については、夫帝の生死関わらず歴史的に用いられてきた「皇太后こうたいごう)」、あるいはその略称である「太后たいこう)」の称号用いるべきであるとする反対意見もあったが、「退位した上皇健在にもかかわらず、(皇室史上においても)崩御により夫と死別した未亡人というイメージが強い皇太后称号使用することは避けるべき」という見解出たため、新称号創設する運びとなった上皇后となって1か月経過した後、2019年令和元年6月8日宮内庁病院心臓の検査受けた。この検査白内障の手術を受けるために行われた血液検査において、心不全診断指標であるBNP値が上昇していたことから実施された。専門医による診断結果中等度の三尖弁逆流症、軽度僧帽弁逆流症及び不整脈所見認められた。その後上皇との同伴京都府での「孝明天皇山陵及び明治天皇山陵親謁の儀」を済ませた後の6月16日右眼白内障手術を、6月23日左眼白内障手術受けた2020年令和2年1月2日、夫の上皇明仁、天皇徳仁皇后雅子および他の皇族と共に皇居での新年一般参賀参加上皇后となって以降初め公の場で姿を見せた同年3月31日上皇と共に住居となる高輪皇族邸高輪仙洞仮御所)に引越したそれ以降新型コロナウイルス影響により、ほとんど外出控えるようになり、国民目に触れることも少なくなっていた。 2020年令和2年9月11日定期検診のため宮内庁病院赴いた

※この「上皇后時代」の解説は、「上皇后美智子」の解説の一部です。
「上皇后時代」を含む「上皇后美智子」の記事については、「上皇后美智子」の概要を参照ください。

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