上皇后時代
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2016年(平成28年)8月8日に国民に向けたビデオメッセージとして全国放送された「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」の録画収録の際には、その場にも同伴した。2017年(平成29年)6月9日に天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立、202年ぶりとなる天皇譲位が実現することとなった。 これにより夫・明仁が2019年(平成31年)4月30日で退位し、翌(令和元年)5月1日に長男の皇太子徳仁親王が第126代天皇に即位することに伴い、皇太子徳仁親王妃雅子が立后した。 美智子の称号は「上皇后(じょうこうごう)」となった。前皇后の称号については、夫帝の生死に関わらず歴史的に用いられてきた「皇太后(こうたいごう)」、あるいはその略称である「太后(たいこう)」の称号を用いるべきであるとする反対意見もあったが、「退位した上皇が健在にもかかわらず、(皇室史上においても)崩御により夫と死別した未亡人というイメージが強い皇太后の称号を使用することは避けるべき」という見解が出たため、新称号を創設する運びとなった。 上皇后となって1か月が経過した後、2019年(令和元年)6月8日に宮内庁病院で心臓の検査を受けた。この検査は白内障の手術を受けるために行われた血液検査において、心不全の診断指標であるBNP値が上昇していたことから実施された。専門医による診断の結果、中等度の三尖弁逆流症、軽度の僧帽弁逆流症及び不整脈の所見が認められた。その後、上皇との同伴で京都府での「孝明天皇山陵及び明治天皇山陵に親謁の儀」を済ませた後の6月16日に右眼の白内障手術を、6月23日に左眼の白内障手術を受けた。 2020年(令和2年)1月2日、夫の上皇明仁、天皇徳仁と皇后雅子および他の皇族らと共に、皇居での新年一般参賀に参加。上皇后となって以降、初めて公の場で姿を見せた。同年3月31日、上皇と共に仮住居となる高輪皇族邸(高輪仙洞仮御所)に引越した。それ以降、新型コロナウイルスの影響により、ほとんど外出を控えるようになり、国民の目に触れることも少なくなっていた。 2020年(令和2年)9月11日、定期検診のため宮内庁病院に赴いた。
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