上海へとは? わかりやすく解説

上海へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:39 UTC 版)

尾崎秀実」の記事における「上海へ」の解説

1927年昭和2年10月から翌年まで大阪朝日新聞支那部に籍を置く。この大阪赴任中、一高先輩日本共産党員の冬野猛夫会い影響を受ける。上海に渡る直前に、一高東京帝大同期ドイツ帰り羽仁五郎から現地新聞研究・分析重要性について教わる。 この頃、兄・秀波(ほなみ)の妻だった英子結婚その後特派員として同年11月大阪朝日新聞社上海支局転勤し、英語とドイツ語堪能尾崎は、太田宇之助支局長のもと外交方面を受け持つことになる。上海滞在中、内山書店通い店主内山完造や、そこに出入りする郭沫若魯迅中国左翼作家連盟夏衍交際する。また中国共産党とも交流した1928年昭和3年11月、イレーネ・ワイテマイヤーが経営するツァイトガイストドイツ語で「時代精神」の意)書店アグネス・スメドレー会いコミンテルン本部機関加わり諜報活動間接的に協力するうになる。さらに、常盤亭という日本料理店において、スメドレー紹介で、フランクフルター・ツァイトング紙の特派員ジョンスン」ことリヒャルト・ゾルゲ出会う。彼を通じてモスクワへ渡った南京政府動向についてのレポート高く評価され南京路にある中華料理店杏花で、ゾルゲから自分コミンテルン一員であると告げられ協力求められ承諾する実際に尾崎ゾルゲ紹介したのはアメリカ共産党員で当時上海にあった太平洋労働組合書記局(PPTUS)に派遣され満鉄傘下国際運輸という運送会社潜り込んでいた鬼頭銀一である。 1931年昭和6年春に、「日支闘争同盟」の会合出席した際、満鉄調査部の上満鉄公処の小松重雄の紹介で、川合貞吉出会う関東軍動向を探るため、同年6月川合満州派遣する。 表 話 編 歴 ロシア諜報機関KGB連邦保安庁 (FSB) 対外情報庁 (SVR) 連邦警護庁 (FSO) ロシア連邦軍参謀本部情報総局 (GRU) 軍事測量局 (VTU) 過去に存在した組織 ソビエト連邦 共産党中央委員会国際部(ID-CCCPSU) ソ連赤軍参謀本部第2部GRU赤軍参謀本部軍事測量部(VTU) スメルシ 国家保安委員会KGB前身:チェーカー国家政治保安部 (GPU)→合同国家政治保安部 (OGPU)→内務人民委員部 (NKVD)、国家保安人民委員部(NKGB)→国家保安省MGB関連組織コミンテルン ソ連情報委員会KI軍事産業委員会VPKロシア帝国内務省警察部警備局オフラーナ)(前身:皇帝官房第三部ロシア帝国憲兵団

※この「上海へ」の解説は、「尾崎秀実」の解説の一部です。
「上海へ」を含む「尾崎秀実」の記事については、「尾崎秀実」の概要を参照ください。

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