おざき‐ほつみ〔をざき‐〕【尾崎秀実】
尾崎秀実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/18 14:14 UTC 版)
尾崎 秀実(おざき ほつみ、1901年(明治34年)4月29日 - 1944年(昭和19年)11月7日)は日本のジャーナリスト・評論家。朝日新聞社記者、内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員を務める。
注釈
- ^ 特別高等警察は、尾崎がアグネス・スメドレーの『女一人大地を行く』を翻訳(名義は白川次郎訳、初版改造社、1934年(昭和9年))していたことから疑いを持つようになった(宮下弘 1978年(昭和53年))。
- ^ 尾崎は具体的に供述したがゾルゲが鬼頭銀一とのつながりを強硬に否定したために、最初の紹介者はスメドレーということに調書が統一された(加藤哲郎『情報戦と現代史』206頁)
- ^ 南進論への活動の際、モスクワにその意向を確認したところ「不必要」という回答であったが、ゾルゲは自分の権限内の行為として差し支えないと考えたという。またその行動もモスクワから課された制限内でおこなったと述べている。
- ^ 裁判長を務めた高田正は、尾崎と一高・東京帝大を通じて同級生・友人の間柄であった(白井久也『ゾルゲ事件の謎を解く - 国際諜報団の内幕』)
出典
- ^ a b 平川幸雄 ゾルゲ=尾崎事件 : 歴史社会学的アプローチ
- ^ [1]
- ^ 尾崎秀樹編『回想の尾崎秀実』p.107
- ^ a b c 三田村武夫 1950年(昭和25年), pp.49 - 50
- ^ 市川亮一 尾崎秀実の思想と行動(一橋研究 第26号)
- ^ 三田村武夫 1950, p.51
- ^ 『ゾルゲ事件 獄中手記』P230 - 233
- ^ 1942年(昭和17年)3月8日、第22回調書
- ^ a b 斉藤 勝久 ゾルゲが恋人と眠る多磨霊園:伝説のスパイの足跡を訪ねて(5)
- ^ クルト・ジンガー『スパイ戦秘録』 国際新興社、1953年, p.324
- ^ 尾崎秀樹『ゾルゲ事件』、プロローグ
- ^ 『良書百選 第7輯』「尾崎秀実著 嵐に立つ支那 転換期支那の外交・政治・経済」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1098707/21
- ^ 尾崎秀樹『ゾルゲ事件』、エピローグ
- ^ 野人政治家 風見章の生涯
- ^ 「改造」昭和二六年八月号 1951 72-83ページ、風見章「尾崎秀実評伝 殉教者への挽歌」
- ^ 尾崎秀樹編『回想の尾崎秀実』、風見章「尾崎秀実評伝 殉教者への挽歌」
- ^ 『対論・異色昭和史』64-67ページ
- ^ 尾崎秀樹『歳月』(学陽書房)P.198
- ^ 竹内春夫『ゾルゲ謀略団』日本教育新聞社出版局、1991年
尾崎秀実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 20:16 UTC 版)
近衛内閣の嘱託として、政策決定に影響力を加えた人物。ソビエトのスパイであり、後にゾルゲ事件で逮捕・処刑される。作中では舞鶴に半ば左遷された石原完爾を訪れ、トロツキー招聘計画の中止を訴え、石原の対ソ戦争プランに激しく反対する。この時期すでに尾崎はスパイ活動を展開していた。石原は尾崎の隠れた本当の姿をどことなく見抜いているふうでもある。
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