三宅裕司に交替以後とは? わかりやすく解説

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三宅裕司に交替以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 17:35 UTC 版)

ヤングパラダイス」の記事における「三宅裕司に交替以後」の解説

1984年2月2日高原降板し、同年2月6日から劇団スーパー・エキセントリック・シアターSET座長俳優三宅裕司交代以後番組終了まで三宅パーソナリティ務めた番組オープニングテーマ起用順に安部恭弘松尾清憲BLUEW・JAG-TOY・MASAHARUなどの曲が、1989年秋から最終回までは遠藤賢司エンケンミッチー音頭』(OP曲は一部除き歌詞独自に変更)が使用された。エンディングは月替わり最新洋楽曲一例としてはアリッサ・ミラノの「ルック・イン・マイ・ハート」やマルティカの「トイ・ソルジャー」など)をBGM三宅トーク番組締めくくる三宅担当後も、しばらくは高原時代ジングル使用されていたが、後にオリジナル変更された。 番組終了まで中高生中心に絶大な人気獲得同時に当時全く無名だった三宅及びSET知名度大きく向上することになる。三宅劇団公演中休まず地方公演の際は地方からでも放送続けた本番末期当時聴取率同時間帯トップで、全曜日が「ヤングタイム高聴取率番組ベストテン」内に入っていたほどだったが、1990年4月から三宅日本テレビ読売テレビ深夜ワイドショーEXテレビ』の東京版司会として生出演することになり、時間帯重なることもあったため同年3月29日終了した。なお、三宅4月以降ニッポン放送番組持ち続け、『ヤンパラ終了後はまず土曜昼の日産自動車一社提供NISSANラジオパラダイス』(この時にNISSANラジオプラザ』から改題)へ枠移動。『三宅裕司どよーん!』に装い改め再出発した2年後1992年4月からは現在の日曜朝移り裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30』がスタート2020年現在の『三宅裕司のサンデーヒットパラダイス』まで30年以上に渡りニッポン放送レギュラー出演している。 本番組からは「ヒランヤ」「ヤッちゃん」「水戸さま」「おぼっちゃま」「オタク族」「ベロダス」「ナゾダス」など、数多く流行生まれた三宅以外にも小倉久寛八木橋修今村明美などのSET劇団員の他、当時劇団若手3人組寺脇康文岸谷五朗山田幸伸)が「SET隊せったい)」としてコントコーナー出演していた。岸谷ヤンパラ終了から半年後、TBSラジオで『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』のパーソナリティ抜擢され彼もまた三宅同様一気知名度獲得していくことになる。 なお、金曜日三宅交代同時期に番組として『TOKYOベストヒット』を放送開始し、ヤンパラ終了同時期に終了した2006年4月10日には、18:00 - 20:30に『三宅裕司のヤンパラリターンズ 帰ってきた恐怖のヤッちゃん!』として、2019年4月21日には、18:00 - 21:00に『三宅裕司のヤンパラリターンズ』としてそれぞれ復活した

※この「三宅裕司に交替以後」の解説は、「ヤングパラダイス」の解説の一部です。
「三宅裕司に交替以後」を含む「ヤングパラダイス」の記事については、「ヤングパラダイス」の概要を参照ください。

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