三宅裕司に交替以後
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「ヤングパラダイス」の記事における「三宅裕司に交替以後」の解説
1984年2月2日で高原は降板し、同年2月6日から劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)座長で俳優の三宅裕司に交代。以後番組終了まで三宅がパーソナリティを務めた。番組のオープニングテーマは起用順に安部恭弘・松尾清憲・BLUEW・JAG-TOY・MASAHARUなどの曲が、1989年秋から最終回までは遠藤賢司『エンケンのミッチー音頭』(OP曲は一部を除き歌詞を独自に変更)が使用された。エンディングは月替わりで最新の洋楽曲(一例としてはアリッサ・ミラノの「ルック・イン・マイ・ハート」やマルティカの「トイ・ソルジャー」など)をBGMに三宅のトークで番組を締めくくる。 三宅担当後も、しばらくは高原時代のジングルが使用されていたが、後にオリジナルに変更された。 番組終了まで中高生を中心に絶大な人気を獲得。同時に当時全く無名だった三宅及びSETの知名度も大きく向上することになる。三宅は劇団の公演中も休まず、地方公演の際は地方からでも放送を続けた。本番組末期の当時も聴取率は同時間帯トップで、全曜日が「ヤングタイム高聴取率番組ベストテン」内に入っていたほどだったが、1990年4月から三宅が日本テレビ・読売テレビの深夜ワイドショー『EXテレビ』の東京版司会として生出演することになり、時間帯が重なることもあったため同年3月29日に終了した。なお、三宅は4月以降もニッポン放送の番組を持ち続け、『ヤンパラ』終了後はまず土曜昼の日産自動車一社提供枠『NISSANラジオパラダイス』(この時に『NISSANラジオプラザ』から改題)へ枠移動。『三宅裕司のどよーん!』に装いを改めて再出発した。2年後の1992年4月からは現在の日曜朝に移り『裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30』がスタート。2020年現在の『三宅裕司のサンデーヒットパラダイス』まで30年以上に渡りニッポン放送にレギュラー出演している。 本番組からは「ヒランヤ」「ヤッちゃん」「水戸さま」「おぼっちゃま」「オタク族」「ベロダス」「ナゾダス」など、数多くの流行も生まれた。 三宅以外にも小倉久寛・八木橋修・今村明美などのSET劇団員の他、当時の劇団若手3人組(寺脇康文・岸谷五朗・山田幸伸)が「SET隊(せったい)」としてコントやコーナーに出演していた。岸谷はヤンパラの終了から半年後、TBSラジオで『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』のパーソナリティに抜擢され、彼もまた三宅同様一気に知名度を獲得していくことになる。 なお、金曜日は三宅交代と同時期に別番組として『TOKYOベストヒット』を放送開始し、ヤンパラ終了と同時期に終了した。 2006年4月10日には、18:00 - 20:30に『三宅裕司のヤンパラリターンズ 帰ってきた恐怖のヤッちゃん!』として、2019年4月21日には、18:00 - 21:00に『三宅裕司のヤンパラリターンズ』としてそれぞれ復活した。
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