ロバート・M・フリンとは? わかりやすく解説

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ロバート・M・フリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/12 03:21 UTC 版)

ロバート・M・フリン(Robert M.Flynn、1920年3月12日 - 2009年2月7日)は、宗教家・英語教育者プログレス・イン・イングリッシュなどを中心とした著作活動[1] や教育活動を行っていた。

生涯

1920年ニューヨーク市生まれ。カトリックイエズス会の私立高等学校(4年制)を卒業後、1937年8月14日、イエズス会に入る、フォーダム大学(ニューヨーク市、2年間、文学専攻)、セントルイス大学ミズーリ州、3年間、哲学専攻)で学ぶ[2]。卒業後、ニューヨークの高校で英語ラテン語ギリシャ語宗教を3年間教え、ベルギードイツに留学して神学を勉強する[2]1950年8月24日、Eegenhoven(ベルギー)にて司祭叙階[2]

1952年10月29日神父として来日。イエズス会キリスト教主義学校(ミッション・スクール)である六甲中学校・高等学校神戸)や泰星中学校・高等学校福岡)で35年間英語を教え、その指導実践の中から、オーラル・コグニティブ・アプローチに基づいた教科書『プログレス・イン・イングリッシュ』全6巻を著す[2]。高校生・中学生対象の英語によるスピーチのカリスマ指導者であり、その成果は関係者の間では有名。ネイティブによる発音とユニークな内容を盛り込んだスピーチで、全国レベルから地方レベルに及ぶ数々の英語弁論大会で、同高校生・中学生に多くの賞を受賞させた。1988年より津和野カトリック教会にて主任司祭を務めた後[2]、萩、山口の教会にて司牧。六甲学院高等学校のバスケットボール部のOB会は氏の名前を付け「フリン杯」と呼ばれている。晩年は東京都練馬区上石神井のイエズス会ロヨラハウスにて静養していた。

2009年2月7日にロヨラハウスにて、88歳で召天

代表的な書籍

脚註





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