オーエン【Robert Owen】
ロバート・オウエン
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ロバート・オウエン(Robert Owen、1771年5月14日 - 1858年11月17日)は、イギリスの実業家、社会改革家、社会主義者。人間の活動は環境によって決定される、とする環境決定論を主張し、環境改善によって優良な性格形成を促せるとして先進的な教育運動を展開した。協同組合の基礎を作り、労働組合運動の先駆けとなった空想社会主義者。「イギリス社会主義の父」とされ、初めて本格的な労働者保護を唱えたとされる[1]。ロバート・オーウェンあるいはロバート・オーエンの表記ゆれがみられる。
注釈
- ^ 四色付きの長さ50センチほどの長方形型の木片を掲示して作業報告をおこなう生産管理方式。木片は黒・青・黄・白の四色が側面部に彩色されており、掲示される正面の色が前日の各工員たちの作業工程に関する評価を示していた。黒は悪い、青は普通、黄は良、白が優を意味しており、これを操業記録簿に記載して工場長が記録を管理して人事評定を決定していた。各工員には操業評価に不満がある場合、工場長を飛び越えてオウエンに訴え出る権利があった。オウエンによると、この制度を導入した結果、初めは黒が大多数だったものの次第に黒が減少し始め、やがて白が出てくるようになったと回想している[41][42]。
- ^ オウエンは経営の刷新のためにロンドンの財界人から資金集めを行った。合資協定は一株一万ポンドで内訳は次の通り。ジョン・ウォーカー三株、ジョゼフ・フォスター一株、ウィリアム・アレン一株、ジェレミー・ベンサム一株、マイケル・ギップス一株、オウエン五株。合計十二株。ウォーカー、フォスター、アレンは富裕なクエーカー教徒で慈善家として知られた人物であった。ギップスは国教会のトーリー党員でロンドン市長にもなった市参事会員で彼も慈善家として知られていた。ベンサムは功利主義の哲学者である。彼ら有志はオウエンの教育プランに賛同して「学院」の発足に貢献した[52][53]。
- ^ 運営費の内訳。
- ^ オウエンは伝統的教育の形態を改革するためにプロの教育家を採用しなかった。新しい教育プログラムを担当する教師の資質として、1)子供が大好きなこと、2)子供の面倒が行き届くこと、3)徹底的に従順で命令には喜んで従うこと、4)理由の如何に関わらず子供を打たないこと、5)どんな言葉や仕方であるかを問わず、子供を脅かしたり罵らないこと、6)いつも愉快に親切に優しい言葉や態度で子供に接すること、7)どんなことがあっても子供を書物でいじめないこと、8)子供が好奇心を抱いて自発的に質問するようになってから、物の使い方、性質を教えること―が求められた[59]。授業はクイズ形式のゲームのような形態で実施されていたが、見学者の多くが学習効果の高さに驚いたという。見学者の中には後のロシア皇帝ニコライ1世、オーストリアのヨハネス皇子、マクシミリアン皇子といった王侯に加えて、各界の有力者や知識人たちが来訪した[60]。子供は人を傷つけず、互いの幸福を追求するということがモットーとして教え込まれ、子供の問題行動には忍耐強く諭すといった対処法が取られた。最初の教師として任用されたのは、木綿の手織り作業を担当していたジェームズ・ブキャナン、17歳の女工モリー・ヤングの2人であった。ブキャナンは読書算さえ知らなかったが、純朴で子供好きで面倒見の良い人間で、モリー・ヤングは子供の保育についての天賦の才があったと伝わっている[59]。
- ^ ロバート・デイルによると、子供たちは白地木綿の最良質の着物を着て、ローマ式のチュニックの形をしており、男児は膝まで、女児は踝までの長さがあって、いつも清潔でいられるように衣服を週3回着替えていたという。スコットランドは冷涼な気候なので、男児用にハイランド風のキルトが、女児はジンジャムを着ていたのではないかとも推測されている。予算は学院運営費の2割近くが充てられていた[61][62][63][64]。
- ^ いくつかの都市選挙区は工業化による人口移動で過疎化して2名の議員を数名の有権者から選出するポケット選挙区と化していた。そこでは接待や贈賄による買収で有権者の投票が左右される不正選挙の温床となっていった。急激に成長した工業都市は工業化以前は農村だった地域で州選挙区という扱いであった。土地を所有していない市民に選挙権はなく、土地を所有できた一握りの人々がわずか1名の議員を選出する状況下にあった。1830年代の危機的時代状況の中で貴族や地主層に対する中産階級と労働者階級の闘争は激しさを増し、ここに議会改革は不可避なものとなっていった。議会は世論を正確に代表する能力を失って国民に対する権威は失墜し、革命直前の社会状況にあった。
- ^ このときの改革では、都市選挙区に居住する10ポンド以上の家屋・店舗を占有する戸主、州選挙区に居住する10ポンド以上の長期(60年)自由土地保有者、50ポンド以上の短期(20年)自由土地保有者に選挙権が与えられ、議席再配分によって腐敗選挙区の廃止と工業都市への選挙区の割り振りが実施された。だが、労働者には選挙権は与えられず、改革は未解決のままに残され、議会改革問題はチャーティスト運動へと引き継がれる[102]。南部のロンドンからイングランド北部マンチャスターに連なる工業都市がチャーティスト運動の一大拠点となっていた[103]。
- ^ 1831年ヘンリー・ヘザリントンとウィリアム・ラヴェットは「労働者階級全国同盟」(英: National Union of the Working Classes) を結成、機関誌として『プア・マンズ・ガーディアン』を発行した。かれらはフランスの『人権宣言』とトマス・ペインの思想を前文に掲げて綱領を発表した。まず、利潤や地代による収奪を批判して、労働全収権を提唱して労働者が労働生産物の全価値を享受する権利を訴えた。これと同時に雇用主の搾取に抵抗するための団結権やストライキ権の保証を求めていた。そして、その手段を議会改革の推進に求めた他、社会経済的な変革を要求して労働者階級の窮状を打破しようとした[112]。1836年の恐慌時、ヘザリントンとラヴェットをはじめロンドンの指導者は集会を開き、ロンドン労働者協会を設立した[113]。執行部は声明を出して「イギリスには21歳以上の男子が602万いるうち、84万人にしか選挙権が与えられていない」ことを指摘、「将来の奴隷制」(苦汗制度・現代的にはワーキング・プア)の根っこに存在していた腐敗した議会による支配構造を合法的に断ち切って平等な社会を実現させることを目標に、志ある人々の結集を呼びかけた。1838年、1)成人男子選挙権、2)秘密投票、3)毎年選ばれる一年任期の議会、4)議員に対する財産資格の廃止、5)議員への歳費支給、6)十年ごとの国勢調査により調整される平等選挙区の六項目を掲げた『人民憲章』が発表された[114][115]
出典
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