ロサンゼルス市長
ロサンゼルス市長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/10 15:19 UTC 版)
「チャールズ・E・セバスチャン」の記事における「ロサンゼルス市長」の解説
風紀対策に注力した末、警察本部長としては初めて市長選の候補者となった。 彼は選挙前から様々なスキャンダルに巻き込まれていた。市長選数ヶ月前には、セバスチャンが身体障害者の浮浪者を撲殺したとして対立候補が訴訟を起こした。その訴えが取り下げられた直後、未成年の非行を助長したとして風紀紊乱の容疑で逮捕された。愛人リリアン・プラット(Lillian Pratt)が16歳の妹エディス・セーキン(Edith Serkin)を連れたままでセバスチャンとの密会を重ねていたとされた。結局、この件でもセバスチャンは無罪とされた。選挙前日には何者かがセバスチャンを銃撃した。発射された2発の銃弾はいずれも命中していなかった。そして選挙当日、セバスチャンは当選直後に逮捕され、自らへの支持を煽るべく狂言暗殺を企てたとして訴えられた。ただし、この訴えもすぐに取り下げられている。彼は警察本部長時代にも、警察車両を使って愛人とのデートを楽しんだと言われている。 就任から1年後、彼が愛人に宛てて書いた手紙を彼の妻が新聞社に持ち込み、彼の不倫行為が新聞紙上で暴露された。ある手紙は夫婦での市外旅行中に書かれたもので、「この年老いた不細工ババアではなく、君が一緒ならよかったんだが」(I wish you could have been along, instead of the Old Haybag)などと述べられていた。その後、セバスチャンは離婚し、さらに辞職を余儀なくされた。 短い任期の間、サンフェルナンド・バレーの大部分やウェストサイド(英語版)を始めとする辺境地域との合併を主導した。 辞職後の一時期はガソリンスタンドで働いていたと伝えられる。また、脳卒中を起こした後には愛人のプラットが彼の車椅子を押していたのを目撃されている。 その後は牧場で静かに暮らし、1929年4月17日に死去した。遺体はカリフォルニア州シルマー(英語版)のグレン・ヘブン記念公園(Glen Haven Memorial Park)にて埋葬された。
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