レオ3世 (ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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レオ3世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 01:55 UTC 版)

レオ3世
第96代 ローマ教皇

レオ3世
(カールに帝冠を授けるレオ3世)
教皇就任 795年12月26日
教皇離任 816年6月12日
先代 ハドリアヌス1世
次代 ステファヌス4世
個人情報
出生 750年?
東ローマ帝国ローマ
死去 816年6月12日
教皇領ローマ
その他のレオ
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レオ3世(レオ3せい、Leo Ⅲ、750年? - 816年6月12日)は、ローマ教皇(在位:795年12月26日 - 816年6月12日)。

概説

ローマの貧民階級の出身者であったが、聖職者の道を歩んで頭角を現してゆき、遂に795年にローマ教皇に就任するに至った。しかし貧民階級出身者であるレオ3世に対して反発する者も少なくなく、799年には暗殺者に襲われて危うかったところを、かろうじて脱出してアルプスを越え、フランク王国カール1世(大帝)のもとへ逃げ込んだ。

そしてカール1世の保護を受けてローマ教皇としてローマに戻った後、カール1世に受けた恩や東ローマ帝国庇護下にある東方教会と対抗するという経緯、およびローマ皇帝の座が797年より空位であるとみなされていた[1][2]事情から、800年12月のクリスマスの日、サン・ピエトロ大聖堂でのミサの最中、カール1世に神聖ローマ皇帝[3][4]の帝冠を授けた。ここに西欧の大実力者とローマ教皇の提携という、西欧の新たな歴史が花開くこととなったのである。

レオ3世は816年に死去し、1673年に列聖された。

カール1世に帝冠を授け、西欧に新たな歴史の扉を開いた教皇として、評価されている[独自研究?]

脚注

  1. ^ ハンス・シュルツェ『西欧中世史事典』ミネルヴァ書房、1997年
  2. ^ 井上浩一『ビザンツ皇妃列伝』白水社、2009年
  3. ^ 「神により加冠されし至尊なるアウグストゥス、偉大にして平和的なる、ローマ帝国を統べるインペラトル』(serenissimus Augustus a Deo coronatus, magnus pacificus Imperator Romanorum gubernans Imperium)
  4. ^ この帝位は東ローマ皇帝との対比から西ローマ皇帝と表記されることもあるが、あくまで797年に追放されたコンスタンティノス6世の後継者としての「ローマ帝国全土の皇帝」であって、ロムルス・アウグストゥルス以降に途絶えていた(同じく西ローマ皇帝と表記される)西方正帝を復活させたものではないことに注意を要する。



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