ルマイラ油田
【英】: rumaila oilfield
イラク南東部、シャトル・アラブ川の南側の低地に位置する同国第 2 の油田。 クウェートとの国境に近い。当時のバスラ石油会社(BPC)により 1953 年に発見され、1954 年に生産が開始された。1977 年の国有化の一環として管理権・経営権が INOC に移管され、現在は国営石油会社 SOC(South Oil Company)が操業している。生産された原油は2本のパイプライン(口径 41cm と 76cm 、長さ 105km )でアラビア湾岸のファオ貯油基地へ輸送され、25km 沖合のバスラ(旧名称ミナアルバクル)・ターミナルおよびコルアルアマヤ・ターミナルから出荷される。 地質区としてはアラビア卓状地に属し、集油形態は緩い傾斜の背斜構造。産油層は、白亜紀ミシュリフ層の石灰岩(礁)とズベイル層の砂岩で、深さはそれぞれ約 2,300m と約 3,200m 。原油性状は油層により異なり、ミシュリフ層が比重 26.9°API、イオウ分 3.67 %、ズベイル層が比重 32.2 ~ 36°API、イオウ分 2.2 ~ 2.75 %。北構造と南構造とに分かれており、それぞれ北ルマイラ油田、南ルマイラ油田と呼ばれることがある。究極可採埋蔵量は、北が 80 億バレル、南が約 70 億バレルとの見積もりのほか、全体で 200 億バレルとの見積もりもある。 産油量は 1979 年に 149 万バレル/日のピークを記録したが、その後イラン・イラク戦争などの影響で統計値が発表されなくなった。イラク戦争開始(2003 年 3 月)後の産油量は、もう一つの主力油田キルクーク油田を大きく上回る 120 万バレル/日程度で推移しているとみられる。 主文献『ペトロテック』4 巻 3 号(1981)、『世界の大油田』(1984)、『石油地質・探鉱用語集』(1989) (齊藤 隆、2006 年 3 月) |
ルマイラ油田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 21:37 UTC 版)
ルマイラ油田[1](ルマイラゆでん、アラビア語: حقل الرميلة、英語: Rumaila field)は、クウェートとイラク南部にまたがって存在するイラク最大の油田[2]。この油田への傾斜掘削法が、イラクとクウェートの間で論争となり、湾岸戦争勃発の要因の一つとなった。イラクはクウェートの傾斜掘削法を非難し、イラク支配下の土地を掘っていると主張し、その場所(クウェート領)を攻撃した。1953年[2]にBP(当時はブリティッシュ・ペトロリアム)によりこの巨大な油田が発見された。バクル政権下で、イラクによって国有化された。その時から、油田はイラクとクウェート双方の支配下となった。イラク全体の油田の15%強にあたると見積もられていて、2009年6月末に、BPと中国石油天然気集団公司が20年間の開発契約を勝ち取った[3]。
- ^ スペリングよりも現地での読みを重視して、ルメイラ油田と呼ばれることも少なくない。
- ^ a b ルマイラ油田,石油・天然ガス用語辞典,独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構
- ^ “イラク最大の油田開発、英BPと中国石油天然ガス集団が落札”. ロイター通信 (2009年7月1日). 2014年3月28日閲覧。
- 1 ルマイラ油田とは
- 2 ルマイラ油田の概要
- ルマイラ油田のページへのリンク