リムリック国立高等教育研究所
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「リムリック大学」の記事における「リムリック国立高等教育研究所」の解説
1960年代の経済発展政策の成功により、アイルランドには外国からの投資が流入し、既存の大学では対応できない専門知識の需要が高まった。アイルランドはリムリックに国立高等教育研究所(NIHE)を設立したが、これはヨーロッパ大陸の技術系大学や英国で開発されているポリテクニックをモデルにしたものであった。1970年1月1日には、エドワード・ウォルシュが計画委員会の委員長兼所長に就任した。この20世紀的なアプローチは、世界銀行、欧州投資銀行、慈善家からの資金援助を利用していることからも明らかである。例えば、建設の第1段階には世界銀行からの資金が使われた。教職員は国際的に採用され、広範な教育・研究施設に加え、アナログ・デバイセズ(アイルランド初のシリコンチップを製造した)を中心とした外国からの投資を集めた。 最初の学生が入学したのは1972年のことで、この研究所がジャック・リンチ首相によって開校されたときだった。開発の第2段階では、欧州投資銀行が資金を提供した。慈善家のチャック・フィーニーは大学への大口寄付者であった。「シャノン開発」はまた、統合されたキャンパスとして国立技術公園を確立するためにNIHEの提案をサポートし、計画の初期の支援者だった。 政府交代により、NIHEはアイルランド国立大学の認定カレッジとしての認可を申請し、1977年には卒業生に学位が授与された。学生などの強い反対により、NIHEはアイルランド国立大学から脱退し、独立した教育機関となった。1978年から1988年までは、全国教育賞審議会(NCEA)がNIHEの学位授与機関となっていた。
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