ラディゲの夭折
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「ドルジェル伯の舞踏会」の記事における「ラディゲの夭折」の解説
『ドルジェル伯の舞踏会』という傑作を残して1923年12月12日に死去したレイモン・ラディゲは、その臨終を文学の先輩であるジャン・コクトーやマックス・ジャコブに看取られた。コクトーは、その死の様子を『ドルジェル伯の舞踏会』の「序」に記している。 ラディゲはその死の3日前の12月9日に、〈ねえ、たいへんなことになってしまったんだ。あと3日すると、ぼくは神の兵士に銃殺されるんだって〉、〈色が行ったり来たりしている。その色のなかに隠れている人たちがいる〉とコクトーに告げてから意識不明となった。コクトーはラディゲの早すぎる死に深い衝撃を受け、その後およそ10年にわたって阿片に溺れ続けることになるが、ラディゲがほとんど破いて捨ててしまったために、たった一枚しか残っていなかった創作ノオトを発見して、「序」に付している。 日本で最初に『ドルジェル伯の舞踏会』を翻訳した堀口大學は、ラディゲが20歳でこの世を去った年少者であることから、「人間の智能の不思議さと尊さ」を新たに感じたとし、人生の経験ということについても私達は再吟味する必要があるように思うと述べ、ラディゲが17歳の時に書いた処女作『肉体の悪魔』を発表した当時、批評家たちが、この少年が長い人生経験なしには書けないような小説を成就し、その「人生に対する深い認識」に驚嘆したことに触れながら、その世評にラディゲが答えた言葉を次のように紹介している。 経験というものを、それほど大切なものだと私は思わない。それにまた、私には経験はあるのだ。私の十七年間の経験がそれだ。世間の人達は、二十すぎてからの経験だけが経験であって、それ以前のものは経験ではないというのか? そんなことを云い出したら、きりがないではないか? 「おれは実人生に就いて、経験がある」と真に云い得る者は死者ばっかりだということになるのではあるまいか? ……欧州戦争が始った時、私は十二歳だった。その時、仏蘭西全国には壮年者は一人も居なかった。彼等の悉が出征していたからである。仏蘭西には 、老人と子供だけが残されていた。然るに老人共は役に立たない。戦線でも、それだから、子供達が、不在の壮年者大人達の代理をつとめたのであった。つまり私達は少年期の終りから一足とびに大人になったのである。 — ラディゲ「世評へのコメント」
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