ラディゲの夭折とは? わかりやすく解説

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ラディゲの夭折

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 17:08 UTC 版)

ドルジェル伯の舞踏会」の記事における「ラディゲの夭折」の解説

ドルジェル伯の舞踏会』という傑作残して1923年12月12日死去したレイモン・ラディゲは、その臨終文学先輩であるジャン・コクトーマックス・ジャコブ看取られた。コクトーは、その死の様子を『ドルジェル伯の舞踏会』の「序」に記している。 ラディゲはその死の3日前の12月9日に、〈ねえ、たいへんなことになってまったんだ。あと3日すると、ぼくは神の兵士銃殺されんだって〉、〈色が行ったり来たりしている。その色のなかに隠れている人たちがいる〉とコクトー告げてから意識不明となったコクトーラディゲ早すぎる死に深い衝撃を受け、その後およそ10年わたって阿片溺れ続けることになるが、ラディゲがほとんど破いて捨ててしまったために、たった一枚しか残っていなかった創作ノオト発見して、「序」に付している。 日本最初にドルジェル伯の舞踏会』を翻訳した堀口大學は、ラディゲ20歳この世去った年少者であることから、「人間智能不思議さ尊さ」を新たに感じたとし、人生経験ということについても私達再吟味する必要があるように思うと述べラディゲ17歳時に書いた処女作肉体の悪魔』を発表した当時批評家たちが、この少年長い人生経験なしには書けないような小説成就し、その「人生対する深い認識」に驚嘆したことに触れながら、その世評ラディゲ答えた言葉次のように紹介している。 経験というものを、それほど大切なものだと私は思わない。それにまた、私には経験はあるのだ。私の十七年間経験がそれだ。世間の人達は、二十すぎてからの経験だけが経験であってそれ以前のものは経験ではないというのか? そんなことを云い出したら、きりがないではないか? 「おれは実人生に就いて経験がある」と真に云い得る者は死者ばっかりということになるのではあるまいか? ……欧州戦争が始った時、私は十二歳だった。その時仏蘭西全国には壮年者は一人も居なかった。彼等の悉が出征していたからである。仏蘭西には 、老人子供だけが残されていた。然るに老人共は役に立たない戦線でも、それだから子供達が、不在壮年大人達の代理つとめたであった。つまり私達少年期終りから一足とびに大人になったのである。 — ラディゲ世評へのコメント

※この「ラディゲの夭折」の解説は、「ドルジェル伯の舞踏会」の解説の一部です。
「ラディゲの夭折」を含む「ドルジェル伯の舞踏会」の記事については、「ドルジェル伯の舞踏会」の概要を参照ください。

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