ラスキンとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 17:04 UTC 版)
「エフィー・グレイ」の記事における「ラスキンとの結婚」の解説
エフィーはパースの裕福なビジネスマンの家庭に、15人兄弟の長女として生まれた。父親同士が知り合いであったことから、幼少の頃にラスキンと知り合い、12歳のときには、ラスキンから自作の童話『黄金の河の王』を贈られる。 1848年、19歳でラスキンと結婚し、ロンドンで暮らす。ラスキンの取材旅行に同行し、ノルマンディーやヴェネツィアを旅するが、ラスキンの両親もいつも一緒だった。しかもラスキンは、旅行中も建築や絵画の調査に没頭し、エフィーは寂しい思いをさせられていた。さらに、ラスキンは、自らが理想する貞淑で従順な妻に教育したがる口うるさい夫で、まだ幼く、社交好きなエフィーとしばしば衝突した。義父母の過干渉やラスキンのマザコンぶりにもエフィーは不満をつのらせていった。 ラスキンのお気に入りで、金銭的にも援助していたラファエル前派の画家ミレーの絵のモデルを務めたことで、ミレーと知り合う。1853年に、ラスキンとミレーとともにスコットランド旅行に出かけた際、ミレーと恋に落ちる。1854年4月にエフィーはラスキンの家を出て実家に帰り、ラスキンとは夫婦としての肉体関係が一切なかったことを理由に、裁判所に「婚姻の無効」を申し立てる。 肉体関係がなかったこと自体はラスキンも認め、性的不能を理由に、1854年7月に離婚が認められる。エフィーが父親に宛てた手紙には、「(ラスキンが同衾を拒んだ理由は)、初夜の日に見た自分(エフィー)の体が、彼が思い描いていた女性の体と違い、嫌悪感を抱いたためだと言った」とあるが、その違いが何であったかは明らかにされていない(後年に出版された研究書では、恥毛か経血を嫌ったのではないかとされている)。
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