ユタ準州の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/28 15:07 UTC 版)
1850年9月、1850年協定の一部としてユタ準州が連邦議会の法律により創出された。その領域はデザレットの中で北部に限られていた。 1851年2月3日、ブリガム・ヤングはユタ準州の初代知事に就任した。4月4日、デザレット州議会は州を解散する決議案を可決した。10月4日、ユタ準州議会はデザレット州の法律と条令を取り込み執行することを票決した。 ユタ準州設立後、末日聖徒イエス・キリスト教会は「デザレット州」の概念を諦めなかった。1862年から1870年、ヤングの指導の下にモルモン教徒長老達が影の政府として集会を開き、準州議会会期の後で「デザレット州」の名前で新しい法律を批准した。ユタ準州の新しい領域に基づくデザレット州の名前で新しい憲法を起草する試みが1856年、1862年および1872年に行われた。 モルモン教を基盤とする州を創設するという考え方は鉄道が伸びてくると共に消え始めた。鉄道は準州の特に西部に多くの非モルモン教徒の入植を可能にした。1869年プロモントリー・サミットで最初の大陸横断鉄道のゴールデン・スパイクが打たれ貫通した。ユタ準州の役人や末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者達はその日の儀式に参加せず、どちらも鉄道事業の資金集めに関わらなかった。
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