ルイーズ・ベネディクト・ド・ブルボン
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ルイーズ・ベネディクト・ド・ブルボン(Louise Bénédicte de Bourbon, 1676年11月8日 - 1753年1月23日)は、ブルボン朝のフランス王家の一員。ルイ14世の義理の娘にあたる。宮廷ではアンギャン令嬢(Mademoiselle d'Enghien)、シャロレー令嬢(Mademoiselle de Charolais)などとも呼ばれたが、結婚後のメーヌ公爵夫人(Duchesse du Maine)、メーヌ夫人(Madame du Maine)の呼び名で知られている。
- ^ Fraser, Antonia (Lady), Love and Louis XIV
- ^ The Project Gutenberg EBook of The Memoirs of the Louis XIV. and The Regency, Complete, by Élizabeth-Charlotte, duchesse d'Orléans
- ^ Voici l'union d'un boiteux et d'une manchote. Ah, le beau couple!(Prince de Condé site
- ^ Duchess of Maine
- ^ "Regardez-vous un peu! Un bâtard boiteux! Qui me prétend gouverner! Je suis née princesse du sang, Monsieur, sans tache sur mon berceau! Vous, que seriez-vous sans les bâtons (les cannes) dont le monde rit bien haut? Un pour soutenir votre corps, plus moi pour soutenir votre rang! Et ce Gambillard-là réglerait mon pas!" - Prince de Condé site
- ^ Les Aventures des Bourbon-Condé & Bourbon-Conti
- ^ Louise, baronne de Sceaux, dictatrice perpétuelle de l'ordre de la Mouche à miel
- 1 ルイーズ・ベネディクト・ド・ブルボンとは
- 2 ルイーズ・ベネディクト・ド・ブルボンの概要
- 3 参考文献
- 4 外部リンク
メーヌ公爵夫人
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「ルイーズ・ベネディクト・ド・ブルボン」の記事における「メーヌ公爵夫人」の解説
ルイーズ・ベネディクトとメーヌ公との婚礼は1692年5月19日にヴェルサイユ宮殿付属礼拝堂で執り行われた。メーヌ公は脚が不自由だったため、右腕の不自由な花嫁と脚の悪い花婿を見た宮廷人たちの一部は、「片腕の妻とびっこの夫とは、なんと美しいカップルだろう」という残酷な冗談をささやいた。 夫妻の結婚生活は不幸だった。夫妻は互いを嫌い、ルイーズ・ベネディクトは夫の小心さと野心の無さを軽蔑し、メーヌ公は妻の短気な性格や宮廷で夫に恥をかかせようとする企みに辟易していた。メーヌ公爵夫人が夫を裏切って不倫していることは宮中ではよく知れ渡っていた。公爵夫人はある時夫に対して怒りを爆発させ、以下のようになじったと言われる。 自分をよく見なさいよ!びっこの私生児の分際で私を従わせるつもり?私は生まれに少しもやましいところの無い王家の純血の姫君です。その皆に笑われてる杖を使わずに歩いてみたらどう?貴方の体は杖に支えられていますけど、貴方の身分を支えてる杖はこの私ですよ!こんなびっこに歩幅を合わせなければならないなんて! 公爵夫人はルイ14世の公妾であるマントノン侯爵夫人の支配する陰鬱なヴェルサイユ宮廷を嫌い、ソー城に自分を女主人とする小宮廷を開いた。この城はジャン=バティスト・コルベールの屋敷だったが、メーヌ公が1700年に90万リーブルで相続人から買い取り、公爵夫人はこの城の改築・改装に総計80万リーブルの巨費を費やし、同年12月にソー城へ移り住んだ。 メーヌ公爵夫人は自分の宮廷では「女王蜂(La Reine des Abeilles)」と呼ばれるようになり、自らもこの呼び名を気に入って、1703年には自尊心を満足させるために自らを総長とする「蜜蜂騎士団」を創設し、39人を騎士に叙任した。蜜蜂騎士たちは銀の刺繍の入ったローブを纏い、蜂の巣穴の形をした鬘を着け、公爵夫人の横顔と「L. BAR. D. SC. D.P.D.L.O.D.L.M.A.M」という銘が刻まれたメダルを帯びていた。この銘の略語の意味は「ルイーズ、ソーの女領主にして蜜蜂騎士団総長」であった。 ソーの小宮廷で、公爵夫人は当代を代表する文芸サロンの女主人として華やいだ。青年時代のヴォルテール、モンテスキュー男爵、ベルニ枢機卿、ケリュ伯爵、シャルル=ジャン=フランソワ・エノール、ジャン=バティスト・ルソーなどが彼女のもとでサークルを形成した。
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