マルモンテル
19世紀のフランスを代表するピアニスト、教育者として知られた。作曲家としてもOp. 180 を越えるピアノ曲の他、教則本、エディション、著書も多い。パリ音楽院でジメルマンにピアノを師事、1832年にプルミエ・プリを獲得。師の後継者としてデュボワ、ビゼー、ダンディ、アルベニスらのピアノを指導。息子のAntonin(1850 - 1909)も門弟であり、ピアニスト・コンポーザーとして活躍し、パリ音楽院での指導に関わった。彼らの作品を知る人は今日殆ど存在しない。
マルモンテルは、ドビュッシーやビゼーを教えた音楽院ピアノ科教授としてその名を今に留めている。彼は、1816年、パリの南、リヨンの西に位置するクレルモン・フェランという街に生まれた。1827年、パリ音楽院に入学し、翌年にはピアノ科に登録し、ヅィメルマンの門下生となり1837年には一等賞を得てピアノ科を修了した。このヅィメルマンのクラスからは、アルカンやフランク、ラヴィーナやプリューダンといったこの時代のフランスを代表するピアニスト兼作曲家が多く輩出されている。ピアノの他、彼はスコア・リーディングに加え厳格な作曲法(対位法・フーガ)を学び良い成績を修めた。ピアノ科を出て間もなく、彼はソルフェージュ科の教員となり、46年にはアメリカ旅行で不在となっていたピアノ教授H.エルツのクラスを代行した。音楽院への貢献が関係者に評価された彼は、プリューダンやアルカンといった候補者を抑えて1848年、ヅィメルマン教授の後任として教授の座についた。
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