マルチプレイヤーとして活動(1995年 - 2013年)
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「ビル・リーフリン」の記事における「マルチプレイヤーとして活動(1995年 - 2013年)」の解説
シアトルに住むことで、リーフリンは、キング・クリムゾンのロバート・フリップとトレイ・ガン、KMFDMのサシャ・コニエツコ、R.E.M.のピーター・バックを含む、さまざまな著名ミュージシャンとの関係を築く機会を得た。フリップはリーフリンのソロ・デビュー作『Birth of a Giant』に貢献した。そして、この作品はリーフリンがバック・グラウンドの役割以外に、歌を歌っていたことも特徴となっている。この時のセッションからの即興演奏が、後にCD『The Repercussions of Angelic Behavior』で使用された。 リーフリンは、1995年から2003年にリリースされたすべてのKMFDMのレコードに、ドラマー、プログラマー、ボーカリスト、およびキーボード奏者として登場した。2002年には、バンドのベーシストとしてカムバック・アルバム『Attak』をサポートし、2011年のアルバム『WTF?!』でも演奏している。 彼はまたスコット・マッコーイのバンド、ザ・マイナス5でドラムを叩くようになり、そこにはギタリストのピーター・バックが参加することもあった。その流れから、バックはリーフリンに、1997年のビル・ベリーの脱退以来、パーマネントなドラマーを欠いていたR.E.M.と一緒に演奏すべくドラムに座る機会を提供した。2003年のツアーで、彼はライブ・ドラマーの位置をリーフリンに与えた。彼らはやがてリーフリンが無期限にR.E.M.のドラマーの役割を果たすと発表したが、これもまた公式メンバーとしてではなく雇われミュージシャンとしてだった。レコーディングでは、リーフリンはブズーキ、キーボード、そしてギターでもグループに貢献し、R.E.M.が2011年に解散するまで補助的なメンバーとして活躍した。 リーフリンは2005年に「Slow Music」という名前で実験的なアンサンブルをつくり(フリップとバックを含む)、ドラムではなくシンセサイザーを演奏した。その名前が示すように、彼らのアプローチはミュージシャン同士がお互いのためにスペースを空けながら、まばらな音をたくさん重ねることに向けられていた。すべての公演が即興演奏だった。グループは2005年と2006年にわずかな一握りのライブ・スケジュールで演奏し、数年で活動を停止した。 リーフリンは、クリス・ウォン、ロバート・フリップ、およびトーヤ・ウィルコックスからなるTHE HUMANSという音楽コラボレーション・プロジェクトに参加している。バンドは、2007年秋と2009年にエストニアで一連のライブを行い、彼らのデビュー・アルバム『We are the Humans』を2009年5月1日にリリースした。また別のアルバムを2013年に発表し、2014年の春に「Slow Music」とのダブル・ビルの小さなライブ・シリーズが続いた。 ヘクトール・ザズーの2010年アルバム『Corps Electriques』には、リーフリン、ケイティ・ジェーン・ガーサイド、Lone Kent、および、ニュージャズのトランペッター、ニルス・ペッター・モルヴェルがフィーチャーされた。 1995年のアルバム 『The Great Annihilator』以来、リーフリンはスワンズにレギュラーで協力するメンバーであり、2010年の再結成以来、すべてのスタジオ・レコーディングでさまざまな楽器を演奏し、『My Father Will Guide Me up a Rope to the Sky』をリリースしている(彼はアルバム『The Seer』で「名誉のスワン」としてリストされている)。 2012年、リーフリンはロビー・ウィリアムズのアルバム『テイク・ザ・クラウン』のドラムを演奏した。その年の後半、彼はAtomic Brideのシングル「Crush Vaccine」を制作した。同年12月15日、リーフリンはシアトルのダウンタウンにあるクロコダイル・カフェで、ソールドアウトのショーのためにAtomic Brideとライブを行った。
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