ポリオの研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 06:30 UTC 版)
ポリオの脅威が増大するに連れて、サビンやジョナス・ソーク、ヒラリー・ コプロフスキーらは病気を予防、緩和するワクチンの探索を始めた。1955年、ソークの死菌ワクチンが実用に供された。これはポリオの合併症の予防に効果的だったが、最初の感染は防げなかった。サビンは、1954年末に最初の経口弱毒化生ワクチンの試験を行った。1956年から1960年にかけて、彼はロシア人の同僚と経口ワクチンを完成させるための研究を行い、その効果と安全性を証明した。サビンのワクチンは、腸に働いてポリオウイルスが血管に入るのを阻止する。サビンは、ポリオウイルスが腸内で増殖し、攻撃するのを発見した。経口ワクチンはポリオの伝播を阻止し、将来的なポリオ根絶の可能性を示した。 1955年から1960年にかけて、ポリオワクチンはソビエト連邦、東ヨーロッパの一部、シンガポール、メキシコ、オランダ等で少なくとも1億人以上の人にテストされ、1960年4月にアメリカ合衆国で初めてシンシナティの18万人の児童に大規模接種された。サビンらが開発した大量接種法により、シンシナティでは効率的にポリオが根絶された。「セービン日曜日(Sabin Sundays)」はアメリカ全土で日曜日に実施された任意予防接種プログラムで、何百万人もの子どもたちが液体ポリオワクチンを混ぜた角砂糖を口に投与された。 死菌ワクチンを支援していた小児麻痺救済基金の反対にあったが、サビンは3株のワクチンを承認させるためにアメリカ公衆衛生局(CDC)を説得した。公衆衛生局では行き詰まっていたが、ソビエト連邦は、日本等のポリオが蔓延している地域に大量の経口ワクチンを送り、人道主義に貢献した。ワクチンにはアメリカ合衆国の基金等が用いられたが、一般のアメリカ人には行き渡らなかった[要出典]。 サビンはソークの不活化ワクチンの使用に猛反対し、その使用を阻止しようとした。 サビン(Sabin)の名は、ポリオ生ワクチンの別名「セービンワクチン(Sabin vaccine)」、不活化ポリオワクチンの「セービン株(Sabin-derived IPV)」、に観られる。
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