ボルトン時代・2006年W杯(2005年-2006年)
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2005年、7年間過ごしたイタリアを離れ、28歳でイングランド・プレミアリーグのボルトン・ワンダラーズにレンタル移籍。加入後すぐにレギュラーを掴んだ。ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン戦で、フリーキックからプレミアリーグの初ゴールを記録する。まもなく日本代表の親善試合に招集されたが、サム・アラダイス監督はコンディションを憂慮して難色を示したのに対して中田は招集された代表戦に全て出場し、やがてアラダイス監督の信頼を失い、主にリーグ戦の途中出場とカップ戦の出場になっていった。しかし、リーグ戦終盤には5試合連続で先発出場。チームの勝利に貢献し、ドイツW杯を前に懸念されていた試合勘の問題も払拭した。ただし、ボルトンはロングボール戦術を中心とするチームだったため、その能力をフルに発揮出来たとは言い難い。 2006年6月、29歳で自身3大会連続3度目となるドイツW杯のグループリーグ全3試合にフル出場。1分2敗で決勝トーナメントには進出できなかった。ブラジル戦では力の差を見せつけられ、疲弊させられて手も足も出ない状況に陥るが、試合終了の笛が鳴るまで走り抜き、ピッチに倒れた。そこから立ち上がってセンターサークルへ行くと仰向けに倒れ込んだ。
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