ベージャ城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 19:52 UTC 版)
城は丘の頂上にそびえ、遠くからも見える。13世紀のディニス1世治下に城壁と同時に建設された。ムーア人に城塞化された古代ローマ時代の遺跡を元とする。4隅の角形塔と、中央の花崗岩と大理石の要塞(トーレ・デ・メナジェム)からなる銃眼付き胸壁を設けた城壁で構成される。トーレ・デ・メナジェムは高さ40メートルあり、ポルトガル一高い塔である。要塞のてっぺんは螺旋階段197段で登っていける。途中にはゴシック様式窓のある3つのリブ・ヴォールトで囲まれた部屋を抜ける。要塞周りの突き出し狭間のマーロン(胸壁の凸壁)は小さなピラミッド型で突き出ている。銃眼付き胸壁に立つと、一方は城下を見下ろす感動的なパノラマである。一方は、かつて40の小塔と5つの門があった城壁の名残が一瞥できる。城は現在小さな軍事博物館となっている。 城正面の広場は、ムーア人との戦闘で戦死した勇敢な戦士、ゴンサロ・メンデス・ダ・マイアまたオ・リダドールにちなみ名付けられた。 白く洗われたラテン=西ゴート時代のサント・アマロ教会は、城の隣に立ち、聖アマルスに捧げられたものである。教会はポルトガルにある4つの前ロマネスク様式教会の一つである。一部は6世紀からの、内部円柱と柱頭は7世紀以来の葉飾りと幾何学模様が刻まれている。特に、ヘビに立ち向かう鳥が刻まれた円柱は特筆すべきである。教会は現在西ゴート美術の小さな博物館となっている。
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