西ゴート時代
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6世紀、キリスト教徒である西ゴート族の修道士がシャビアに到達し、サン・マルティ岬の名称の由来となったとされるサン・マルティ修道院を建設した。シャビアには今日でも西ゴート風の名前を持つ住民がいる。 トレドのレオヴィギルド(英語版)王の息子であるヘルメネギルドは、アウストラシア王シギベルト1世の娘イングンデを妃としてカトリックに改宗し、父親の怒りを買って584年にサン・マルティ修道院に逃れた。レオヴィギルド王が率いる軍隊がヘルメネギルドを捕らえるために到着すると、ひとりの修道士はポルティチョルに逃れたが、ヘルメネギルドと年老いた修道士は殺害された。
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西ゴート時代
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肖像人名背景即位退位 イルディバルド 西ゴート王の甥。東ゴートの王として迎えられる。 540年 541年 エラーリコ イルディバルドの親族、トーティラの従兄弟。 541年 541年 トーティラ イルディバルドの甥、エラーリコの従兄弟。 541年 552年 テーイア トーティラの重臣。ローマ軍に敗れ、再びイタリアはローマ皇帝の領域に戻る。 551年 553年
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