プレー山の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:45 UTC 版)
5月20日、再び火砕流が発生しサン・ピエールにあった残りの建築物を破壊した。8月30日には新たな火砕流がサン・ピエール北東のモルヌ・ルージュ村(フランス語版)を襲い、2000人が死亡している。 10月、火山岩尖(溶岩塔)が発生し、成長し続けた結果、太さは100m以上、高さは300mに達し『プレーの塔』と呼ばれるまでになった。粘性の大きな溶岩が火道内で固まり、内部のガスの圧力で少しずつ塔のように火口から押し出されてくる現象である。成長するにつれ不安定になり先端部から崩壊が始まり、最終的には1903年3月に崩落した。その後、断続的に火砕流が発生したが、噴火は1904年になってようやく終息した。この噴火の結果、マルティニークの県庁所在地はフォール・ド・フランスへと移転されることとなった。 プレー山はその後1929年にも噴火し、新たな火山岩尖を形成した。この噴火は1932年まで続いた。現在も活火山として地質学者と火山学者に監視されている。 噴火が一段落した後、サン・ピエールも一通り復興・再建はされたものの、県庁所在地という政治・経済・文化・交通の中心的地位を失ったこともあり、1902年以前のような繫栄した都市に戻ることはできなかった。現在のサン・ピエールは人口5000人にも満たない豊かで静かな港の村に過ぎない。噴火当時の壊れた建造物の跡地は現在も幾つか残り、噴火の恐ろしさや爪跡を後世に伝えている。
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