プランタジネット‐ちょう〔‐テウ〕【プランタジネット朝】
プランタジネット朝
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プランタジネット朝(プランタジネットちょう、英: Plantagenet dynasty [plænˈtædʒənət])は、中世イングランド王国の王朝。貴族であったアンジュー伯アンリが1154年にヘンリー2世となり、1399年にリチャード2世が廃されるまで続いた。ただし、その後に続くランカスター朝、ヨーク朝ともプランタジネット家の男系の傍系であるため、広義ではプランタジネット朝に含まれる。この場合はヨーク朝のリチャード3世が最後のプランタジネット朝の王となる。ヨーク朝を滅ぼして王位を得たテューダー朝およびその後のすべての王朝は、女系でプランタジネット家の血を引いている。アンジュー伯家から興ったことから、その初期(ヘンリー2世からジョンまで)についてはアンジュー朝(Angevin Dynasty)とも呼ばれる。
- 1 プランタジネット朝とは
- 2 プランタジネット朝の概要
プランタジネット朝
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「イングランド王国」の記事における「プランタジネット朝」の解説
詳細は「プランタジネット朝」および「アンジュー帝国」を参照 協定の通り、1154年にアンリがヘンリー2世としてイングランド王位を継承し、プランタジネット朝が成立した。 ヘンリー2世はフランス王国の国王ルイ7世と対立しながらノルマンディー公位やアンジュー伯領を受け継ぎ、ルイ7世の王妃であったアリエノール・ダキテーヌと結婚して彼女の相続地であるアキテーヌ公領を支配下に入れた。しかし、ジョンの時に大陸領土を喪失し、アキテーヌの中心地であるガスコーニュのみが残った。アキテーヌは元々諸侯の力が強く、彼らは強力なフランス王より弱体化したイングランド王の支配を好んだためとされる。 エドワード1世は1276年以後ウェールズ公国に侵攻し、1282年にはウェールズ大公ルウェリンを滅ぼし、ウェールズ全域を征服した。そして1301年には王太子エドワード(後のエドワード2世)を新しいウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)に封じた。以後、この称号はイングランド王太子に与えられるようになった。このようにして、ウェールズはイングランド王国の一部となった。
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