ブレダM30軽機関銃のその後
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1930年-1937年まで生産され、イタリア軍およびイタリアに駐留中のドイツ国防軍で使用された。ドイツ軍からはMG 099(i)との制式名を与えられている。 1937年にイタリア軍は主弾薬を7.35x51mm カルカノ弾に更新するため、口径を7.35mmにボアアップしたM37に生産を切り替えたが、当時終結したばかりのエチオピア侵攻、始まったばかりのスペイン内戦と、準戦時動員を続けて多額の軍事費を濫費したイタリア軍は、1940年になっても根本的な装備改変には手がつけられないまま開戦に至ってしまう。これに伴って、現用装備の補充を優先するという観点から6.5x52mm カルカノ弾を使用する本銃の生産を再開せねばならなかった。 結局、イタリア軍は第二次世界大戦を6.5mm装備を更新できないまま戦い抜くはめになり、最終的には1945年にイタリア社会共和国が崩壊するまで使用され続けた。 M37は使われないまま倉庫で出番待ちをしていたが、事前にリビアやエチオピアに送られて保管されていたものが弾薬とともに大量にイギリス軍に鹵獲され、蘭印軍に供与されて日本軍と戦ったほか、戦後の植民地独立の混乱の中でアフリカ各地に出回り、独立闘争に使用されている。
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