フルトベングラー【Wilhelm Furtwängler】
読み方:ふるとべんぐらー
[1886〜1954]ドイツの指揮者。ベルリン‐フィルハーモニー、ウィーン‐フィルハーモニーなどの指揮者として欧州各地で活躍。ベートーベン・ワグナーなどの名演で知られる。
フルトヴェングラー
ドイツの作曲家。指揮者として大きな功績を残し、20世紀の偉大な指揮者の1人に数えられ、その存在は神格化されているほどである。強固で深い精神性を特長とする。ブレスラウやミュンヘンで練習指揮者として経験を積み、リューベック歌劇場やマンハイム歌劇場、フランクフルトやベルリン国立歌劇場、ライプツィヒ・ケヴァントハウス管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニーの指揮者に就任した。ウィーンで指揮をしていた頃に、シェンカーに音楽学を学んだこともあった。ニューヨーク・フィルハーモニックやウィーン・フリルハーモニー、バイロイト、ベルリン国立歌劇場での客演指揮者や要職も務めている。第2次世界大戦中にドイツに留まって活動をしていたことが、戦後になってナチスへの協力と問題視されたこともあったが、無罪が承認されて指揮者としての活動を再開することができた。戦後は、各地を演奏旅行で回っている。
フルトヴェングラー
フルトヴェングラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 08:57 UTC 版)
フルトヴェングラー(ドイツ語:Furtwängler)は、南ドイツのフルトヴァンゲンに起源をもつドイツ語圏の姓。フルトヴェングラー一族も参照。
- 1 フルトヴェングラーとは
- 2 フルトヴェングラーの概要
フルトヴェングラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:01 UTC 版)
「レナード・バーンスタイン」の記事における「フルトヴェングラー」の解説
1950年、フルトヴェングラーがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演した際、ちょうどアムステルダムに仕事で滞在していたバーンスタインはフルトヴェングラーの演奏会を聴きに行き、特にブラームスの交響曲第1番に呪縛された。演奏会終了後、楽屋を訪ねようとしたが、ナチスの協力者とされているフルトヴェングラーをユダヤ人のバーンスタインが訪問するというのは政治的にも非常に危険なことだと彼のエージェントに止められたため(当日演奏会場の外では、フルトヴェングラーが第二次世界大戦中ドイツに留まったことを非難するデモが行われていた)、断念せざるをえなかった。そしてついにこの二人の天才的な芸術家が個人的な面識を持つチャンスは永遠に失われたのであった。フルトヴェングラーの死後、バーンスタインはフルトヴェングラーの日記を読む機会があり、アムステルダムでのフルトヴェングラーの演奏会の数日後、バーンスタインの演奏会をフルトヴェングラーが聴きに行き、この若いアメリカの指揮者に完全に魅了された、とあった。演奏会後にバーンスタインに会おうとしたが、やはり政治的な問題もあり、自分は人見知りする性質なので諦めたと書かれていた。
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