パラマタ公園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 10:04 UTC 版)
パラマタ公園はパラマタ・スタジアムに隣接する公園である。以前はパラマタ市長が所有しており、市長の菜園として建設された。建設当時の規模は現在の公園よりも大きく、現在のパラマタ・ロードを超えて、パラマタ・ハイスクールに隣接していた。パラマタ・ハイスクールやゴルフコース、鉄道のウェスタン・ライン、パラマタ RSL、ボウリング場、パラマタ・スイミングセンター、パラマタ・スタジアムなどを建設する過程で縮小してきた。 パラマタ公園は旧総督官邸を含んでおり、それ故にパラマタは1846年にシドニーに州政府の拠点が移転するまでニューサウスウェールズ州入植地の州都だった。(シドニーもまた州政府官舎に隣接する州政府直轄領を持っていた)。フィリップ総督により「クレセント」と名付けられたパラマタ川の蛇行部分にある丘は自然の観覧劇場となっており、現在でもコンサートなどが行われている。また、120種を超える鳥類が発見、記録されている。この場所には1798年から1805年の間に酪農場が建設されており、オーストラリアにおける初期の酪農場の一つとなっている。この建物は前科者であるジョージ・ソルター (George Salter)のための住居として建設されたもので、1814年から1816年にかけて酪農場に建て替えられた。オコンネル・ストリートにあるチューダー様式の門番小屋は1885年にパラマタ・パーク保全協会によって建設され、ゴードン・マキノンによって設計された。この建物は1980年に再建された。1822年に建設されたブリスベーン総督私用の天文台跡では、ジェームズ・ダンロップやカール・リュンケルを含む多くの天文学者によって数多くの新星や深天(英語版)の天体が発見されてきており、現在も観覧可能である。1822年に、建築者のS. L. ハリスはブリスベン政府の浴場を設計し1823年に建設した。水は川からパイプを使って取り込むようになっていた。1886年、浴場は公共の展示物として公開された。
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