パナソニック発祥の地を発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:05 UTC 版)
「千野境子」の記事における「パナソニック発祥の地を発見」の解説
論説委員になっても、現場記者と変わらぬ好奇心とフットワークの千野は、日本初の「大阪特派員」として2002年の赴任後、高野山、伊勢神宮、吉野など近畿各地を取材し、紀行を新聞に連載しつつ、大阪特派員らしいスクープも連発する。特筆はパナソニック創業者の松下幸之助の真の創業の地について。巷で創業の地は大阪市北区(現福島区)大開町とされていたが、実際はコリアタウンの旧猪飼野地区に近い「東成区玉津二丁目一番地」だったことを、郷土史研究家で古書店主の足代健二郎の協力で発表する。この年は幸之助生誕110年で、同年11月、この地に「松下幸之助 起業の地」顕彰碑が建てられ、東成区も地元の名所・旧跡として紹介するようになった。 一方で、千野は、大阪という都市について是々非々で伝える。「世界は日本・アジアをどう伝えているか」というコラムを連載しているため、千野は出会う人から頻繁に「世界は大阪をどう伝えているのか?」と尋ねられる。その際、千野は「『スミマセン。ほとんど伝えられてません』。ただ私は必ずこう付け加える。『ところが、海外には日本人がびっくりするような関西・大阪研究者がいるんです。もしかすると日本研究としての『大阪』は玄人好みなのかもしれませんね」と答えるという。そして、その実例として、米国オレゴン大学歴史学部のジェフリー・ヘインズ助教授を挙げ、「都市、ひいては地域再生の声が一段と高くなっている。関一の遺産を振り返るとき、二十一世紀の大阪はこのような洞察力のあるリーダーシップが必要-そう感じている。」とコラムを結び、都市力の低下を招いた大阪・関西の政治家の“力”の低下に警鐘を鳴らす。 その後、千野は、東京本社に戻り、論説委員長や新聞社取締役という立場から原稿を書くのだが、役職すべて引退した70歳代の今でも、一介の記者として書き続ける。2016年、旧ソ連(ロシア連邦)圏を訪ね、「あの1986年4月26日のニュースを北欧発の外電が世界に初めて伝えた日の夜、私は外信部のデスクだった」千野は、「いつかチェルノブイリを訪れたいと思ってきた」30年越しの悲願を叶え、原発事故の消火活動で亡くなった「世界を破滅から救った人々」消防士6人に対し、献辞を述べている
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