パウル・ハウサー
パウル・ハウサー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 01:51 UTC 版)
1935年にヒトラーは、陸軍から独立した自由裁量で運用できる武装組織である親衛隊特務部隊の編成を陸軍に認めさせる。1936年に退役陸軍中将パウル・ハウサーが親衛隊特務部隊総監 (Inspekteur der SS-Verfügungstruppen) に任じられ、彼は指揮官不足を解消するために親衛隊独自の士官学校 (Junkerschule Bad Tölz) を設ける。 また、ナチ党政権への移行の政治的不安定な時期に対処できるように主要都市に設けられた党の治安部隊(Politische Bereitschaften) を整理、親衛隊特務部隊としてミュンヘンに ドイチュラント連隊 (SS-Standarte Deutschland)、ハンブルクにゲルマニア連隊 (SS-Standarte Germania) を編成した。1938年には併合されたオーストリアのウィーンからデァ・フューラー連隊 (SS-Standarte Der Führer) が加わる。 大戦とともにフランス国境防衛の予備軍として配置されたデァ・フューラー連隊を除く、親衛隊特務部隊はポーランド戦に出陣した。ポーランド戦後の1939年10月にこれら三個の親衛隊特務部隊が統合され、SS特務師団が編成され、フランス戦に活躍した。この師団から後にゲルマニア連隊が引き抜かれ、これを核に新しくヴィーキング師団が編制された。このようにSS特務師団は武装親衛隊の幹となって、次々と枝葉を広げたと自負している (Stammdivision der Waffen-SS)。自身も最終的には第2SS装甲師団 ダス・ライヒにまで発展した。
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