バロネス・オルツィとは? わかりやすく解説

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オルツィ・バロネス(Baroness Orczy)

本名エママグダレーナロザリアマリアジョゼファバーバラオルツィ。1865年(慶応1)、ハンガリーのタルナエルシュ生まれ。のちイギリスへ帰化する。父は作曲家のフェリックスオルツィ。オルツィ男爵家一人娘
1894年(明27)に挿絵画家であるモンタギュバーストウと結婚し、「ハンガリー童話集」を共訳する。
1899年(明32)、歴史小説皇帝の金蜀台」を発表
1901年(明34)、「ロイヤルマガジン」に隅の老人シリーズ開始
1905年(明38)、「紅はこべ」を発表また、1915年(大4)には植松正により邦訳された。
1910年(明43)、最初女性警察官であるレディモリーが活躍するLady Molly of Scotland Yard」を発表
1947年(昭22)、死去



バロネス・オルツィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/20 10:17 UTC 版)

バロネス・オルツィ(Baroness Orczy、1865年9月23日 - 1947年11月12日)、本名エマースカ・マグダレナ・ロザリア・マリア・ホセファ・バルバラ・オルツィ・バーストウ[1](Emmuska Magdalena Rosalia Maria Josefa Barbara Orczy Barstow)は、ハンガリー出身のイギリスで活躍した小説家。バロネス男爵(バロン)の女性形。Orczyの英語読みでオークシイと表記されることもある。


  1. ^ 本名の片仮名表記は、権田萬治監修『海外ミステリー事典』(2000年、新潮社)のオルツィの項目(執筆者:仁賀克雄)より。
  2. ^ オルツィがイギリスに移った時期を、ハワード・ヘイクラフト『二十世紀著述家事典』などでは15歳の時としているが、ヒュー・グリーン『シャーロック・ホームズのライヴァルたち」では8歳の時としている。


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バロネス・オルツィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:26 UTC 版)

男爵」の記事における「バロネス・オルツィ」の解説

ハンガリー出身イギリス活躍した女性作家筆名父親ハンガリー男爵だったことに由来する

※この「バロネス・オルツィ」の解説は、「男爵」の解説の一部です。
「バロネス・オルツィ」を含む「男爵」の記事については、「男爵」の概要を参照ください。

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