バスク語による文学活動
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「ベルナト・エチェパレ」の記事における「バスク語による文学活動」の解説
『-初文集』に次いでバスク語で出版された2冊目の書籍は、ヨアネス・レイサラガ(英語版)が1571年にラ・ロシェルで出版した『新約聖書』のバスク語版である。歴史家のロペ・デ・イサスティは、1625年の『ギプスコア史概要』でエチェパレの名前を出しており、詩人のアルノー・オイヘナルトは、1665年の手稿『L´art poétique basque』に『-初文集』の異本が出版されたことを書き残している。バスク地方の知識人にはカトリック教会の聖職者が多く、エチェパレによるバス=ナヴァール方言や世俗的な愛の表現などが評価を低くした。17世紀半ば以降にはバスク語による文学活動が盛んとなったが、19世紀半ばまではエチェパレに言及する著作家はいなかった。1847年には、ボルドー・アカデミーの機関誌に『-初文集』とそのフランス語訳が掲載され、言語学者や文献学者の注目を集めるようになった。1933年にはスペイン・バスクにおいて、文献学者のフリオ・デ・ウルキホが雑誌『国際バスク研究誌』に『-初文集』の複製を掲載した。言語学者のルネ・ラフォン(仏語版)や作家のジル・ライヒャー(仏語版)は、協同で『-初文集』の研究作業を行った。1930年代後半にはスペイン・バスクがスペイン内戦に巻き込まれ、その後は数十年間に渡ってフランシスコ・フランコ独裁政権によるバスク語抑圧政策が行われた。
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