ハンピの都市遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/27 02:58 UTC 版)
「ハンピ (インド)」の記事における「ハンピの都市遺跡」の解説
ハンピに残存する都市の遺構は、1986年、ハンピの建造物群(Group of Monuments at Hampi)の名称で国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産の文化遺産に登録された。 ハンピは、14世紀から17世紀中頃に実在したヴィジャヤナガル王国の王都であった。ヴィジャヤナガル朝は、カルナータカ州南部およびアーンドラ・プラデーシュ州南部に至る南インドを支配したヒンドゥー王朝。数多くの宮殿やヒンドゥー教寺院が造営されたが、1565年ターリコータの戦いでムスリム5王国の連合軍に負け、その略奪を受け廃墟と化した。その後、ティルマラ・デーヴァ・ラーヤがヴィジャヤナガルから南方のペヌコンダへと遷都した。 現在は40ほどの遺跡が残っており、さまざまな水道橋、神祠や望楼、柱廊や浴場、要塞なども散在している。 ハンピ北東端に所在するヴィッタラ寺院(英語版)は16世紀にクリシュナ・デーヴァ・ラーヤ王がオリッサに勝利したことを記念に建立した寺院で、ヴィジャヤナガル様式の最高傑作。 最大規模をほこり、56本の石柱があり、広い列柱ホールの礼拝堂(マンタバ(英語版))をそなえている。 トゥンガバドラー川沿いにあるヴィルーパークシャ寺院(英語版)はシヴァ神に献じられたもので、規模が大きく、南インドに特徴的な寺院建築を伝える現役の寺院である。 ヘマクータの丘にあるヘマクータ寺院群は10世紀頃から建てられたものでる。 1999年以降、遺跡保存に緊急性および特段の配慮を必要とするため、ユネスコの「危機にさらされている世界遺産」(危機遺産)リストに登録されていたが、2006年に除外された。
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