ナルヴァ撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 05:53 UTC 版)
「第23SS義勇装甲擲弾兵師団」の記事における「ナルヴァ撤退」の解説
ゴヴォロフは橋頭堡北部に布陣する「ネーデルラント」旅団の防衛線を突破できなかったため、攻撃の主軸を橋頭堡南部に布陣する「ノルトラント」師団の第24SS装甲擲弾兵連隊「ダンマルク」へ移した。 1944年6月22日、ソビエト赤軍が夏季大攻勢バグラチオン作戦を発動させたことにより、ナルヴァ戦線におけるゴヴォロフの攻撃もさらに勢いを増すことになった。7月初旬、ソビエト赤軍はついにナルヴァ川西岸に橋頭堡を確立し、ナルヴァ戦線のドイツ軍には分断の危機が迫っていた。7月23日、シュタイナーはヒトラーの命令に反して、第IIISS装甲軍団をナルヴァ市西方の防衛線「タンネンベルク線」(Tannenbergstellung)へ後退させた。 7月24日午後11時30分、ナルヴァ橋頭堡のドイツ軍部隊が西方への撤退を開始し、第24SS装甲擲弾兵連隊「ダンマルク」(第7中隊を除く)および第49SS義勇装甲擲弾兵連隊「デ・ロイテル」第I大隊がナルヴァ橋を西へ渡った。「ダンマルク」連隊第7中隊および第48SS義勇装甲擲弾兵連隊「ヘネラル・セイファルト」も橋を渡ったが、彼らは第IIISS装甲軍団の後衛として24時間ナルヴァ市に残留した。
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