ドレッドノートの出現(1906年)
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「戦艦」の記事における「ドレッドノートの出現(1906年)」の解説
日露戦争での黄海海戦と日本海海戦(1905年)の戦訓から、戦艦の主砲による遠距離砲撃力が海戦の雌雄を決すると認識された。これを受けて1906年に主砲の門数を倍以上に増やし、主砲だけで戦うという画期的な建艦思想に基づいて設計された戦艦「ドレッドノート」(Dreadnought、18,110t、30.5cm砲10門)」が英国で建造された。ドレッドノートの出現により、それ以前に建造された戦艦だけでなくイギリスを含めた建造中の戦艦までもが一挙に時代遅れとなった。ドレッドノート以前の戦艦は前弩級戦艦(pre-dreadnoughts)と呼ばれる。これ以後各国で建造される戦艦は「ドレッドノート」に準じた「弩級戦艦」(ド級戦艦、dreadnoughts)となり、列強国の保有戦艦は前弩級から弩級への転換を迫られた。このドレッドノートの出現により世界各国の列強の海軍のパワーバランスが崩れたことを「ドレッドノート・ショック」と呼ぶ。中小国の海軍は無理をしながら戦争抑止力として、1-3隻の弩級または超弩級戦艦を購入した。
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