ドッガー・バンク海戦
ドッガーバンク海戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 17:53 UTC 版)
「デイヴィッド・ビーティー (初代ビーティー伯爵)」の記事における「ドッガーバンク海戦」の解説
1915年1月24日のこの海戦で、英独の巡洋戦艦部隊は初めて直接砲火を交え、英艦隊が勝利した。 ヒッパー率いるドイツ艦隊は1914年11月と12月に、イングランドの北海沿岸都市へ繰り返し砲撃を行っていた。これに対し英海軍は、解読した無電情報をもとにビーティーの巡洋戦艦部隊をドッガーバンクに出動させ、ビーティーはドイツ艦隊の捕捉に成功する。 捕捉されたドイツ艦隊は直ちに全速で撤退を開始、ビーティーはこれに応じて追撃に移った。ヒッパーの旗艦ザイドリッツは後部砲塔への直撃弾が揚弾庫内の火薬に引火したが、消火に成功して爆沈を免れた。一方、英艦隊先頭のビーティーの旗艦ライオンは集中砲火を受けて15発の被弾を数え、浸水によって船体が10度傾斜、左舷機関が故障して速力が15ノットに低下して落伍した。 「敵艦隊の追撃を続行せよ」という意味でビーティーが発した「敵の後部を攻撃せよ」「敵艦にもっと接近せよ」という信号を誤解した次席指揮官は、被弾により落伍したドイツ装甲巡洋艦ブリュッヒャーに集中砲火を浴びせて撃沈したものの、ドイツ艦隊に撤退を許す結果となった。駆逐艦に移乗して艦隊を追っていたビーティーは、怒りを抑えて帰還の途についた。
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ドッガーバンク海戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/12/12 08:57 UTC 版)
「デヴィッド・ビーティー」の記事における「ドッガーバンク海戦」の解説
1915年1月24日のこの海戦で、英独両国の巡洋戦艦部隊は初めて直接の砲火を交える事となった。すでにドイツ巡洋戦艦部隊は、ヒッパー指揮の下に1914年11月と12月にイングランドの北海沿岸都市砲撃という一撃離脱作戦を連続実施していた。この時ドイツ側無電を解読した英海軍はビーティーの巡洋戦艦部隊をドッガーバンクに出動させ、ドイツ艦隊の捕捉に成功する。 ヒッパーは直ちに全速で撤退行動に移り、ビーティーもこれに応じて高速追撃戦に移った。ヒッパーの旗艦ザイドリッツは後部砲塔を直撃されて揚弾庫内の火薬に引火したが、かろうじて爆沈を免れた。一方、追撃戦の先頭をきったビーティーの旗艦ライオンはドイツ艦隊の集中砲火を受け、15発の命中弾が引き起こした大量浸水によって船体が10度傾斜し、左舷機関も故障して速力も15ノットに低下した。ライオンは列外に落伍したが、追撃続行を意味する「敵の後部を攻撃せよ」「敵艦にもっと接近せよ」というビーティーの信号は誤解され、次席司令官は全艦隊を損傷で落伍したドイツ装甲巡洋艦ブリュッヒャーへの攻撃に変更してしまったため、ドイツ艦隊主力はついに逃走に成功した。駆逐艦に移乗して艦隊を追ったビーティーは、ブリュッヒャーを撃沈して引き上げてきた英艦隊を見て、怒りを抑えて帰還の途についた。
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