トーマス・マンとの交流
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「カール・ケレーニイ」の記事における「トーマス・マンとの交流」の解説
ケレーニイとトーマス・マンとの関係は、1933年の彼の記念碑的講演、Unsterblichkeit und Apolloreligon (不死性とアポロン宗教)の草稿をトーマス・マンに贈ったことがきっかけである。講演の翌年より、両者は往復書簡を始め、トーマス・マンが没する1955年まで続けられ、両者の交流は、亡命・大戦をはさみ実に20年以上にも及んだ。 ケレーニイは、マンの『ヨーゼフ』4部作に、現代人が神話的現実に回帰し、参入する様を認め、マンを現代における神話の語り手とみなした。かたやトーマス・マンは、ケレーニイの祝祭論を賞賛し、お互いの考えが大変近いことを指摘している。 往復書簡は、その後2度にわたり公刊された。最初は1945年までの書簡をまとめた『小説と神話』(1945)であり、二つ目は、マンが没する1955年までの書簡を増補した『書簡による対話』(1960)である(邦訳抄版:『月刊文芸誌 海』、1972年2月号、中央公論社)。マンの書簡は『トーマス・マン全集(12) 書簡』(新潮社、1972年)にも収録。
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