トリキピティヌス家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 16:20 UTC 版)
「ルクレティウス氏族」の記事における「トリキピティヌス家」の解説
ティトゥス・ルクレティウス・トリキピティヌス: 紀元前509年の執政官スプリウスの父スプリウス・ルクレティウス・トリキピティヌス: 元老院議員で、おそらく王政ローマ最後の王タルクィニウス・スペルブスの下でローマのプラエフェクトゥスを務めた。タルクィニウス追放後は史上初の補充執政官の一人としてブルトゥスの代わりに選出されたが、その直後に死去ルクレティア: スプリウスの娘で、共和政ローマ初の執政官の一人でもあったルキウス・タルクィニウス・コッラティヌスの妻。貞淑さで知られたが、紀元前509年にタルクィニウス傲慢王の子セクストゥス・タルクィニウスに強姦され、その事件が元となって王族の追放と共和政の樹立が起こった ティトゥス・ルクレティウス・トリキピティヌス: 紀元前508年の執政官。タルクィニウス傲慢王を匿ったエトルリアの都市クルシウムの王ラルス・ポルセンナと戦い、負傷した。504年にも執政官に再選され、サビニ族との戦争を終結させたルキウス・ルクレティウス・トリキピティヌス: 紀元前462年の執政官。ウォルスキ族に勝利し凱旋式を挙行。翌年、元老院派としてプレブスに危害を加え裁判にかけられていたキンキナトゥスの息子カエソを庇った。紀元前449年には十人委員会廃止に賛同ホストゥス・ルクレティウス・トリキピティヌス: 紀元前429年の執政官。 シケリアのディオドロスによると、彼の個人名はオピテルであったという プブリウス・ルクレティウス・トリキピティヌス: 上記ホストゥスの息子。紀元前419年と417年の執政武官 ルキウス・ルクレティウス・トリキピティヌス・フラウス: 紀元前393年の執政官。391年、388年、383年と381年には執政武官も務める。執政官としてはアエクイ族を征服。 プルタルコスによると、彼は後の元老院第一人者のように、議会で最初に発言する特権を持っていた
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