トヨタパブリカとは? わかりやすく解説

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トヨタ・パブリカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 02:49 UTC 版)

パブリカPublica)は、トヨタ自動車(旧・トヨタ自動車工業)が1961年から1988年まで生産・(旧・トヨタ自動車販売)販売した小型乗用車、および小型貨物自動車である[注釈 1]


注釈

  1. ^ ピックアップトラックのみ、2代目が1988年まで継続生産された。
  2. ^ トヨタでは創業以来このような小型の車種を手がけた経験が無く、トヨペット・SAや初代コロナは共に排気量こそ1000ccであるが、いずれも車体は当時の小型車としては標準的な寸法であり、4ドアであったコロナは小型タクシーとしても使われていた。
  3. ^ 日本経済新聞日刊工業新聞がスクープ記事を掲載したのみで、通商産業省からの発表は行われていない。
  4. ^ 乗用車用ではこのU型が日本初であるが、日本車のエンジンとしての初採用例は、東洋工業(マツダ)1950年に開発したCT型オート三輪用の空冷V型2気筒OHV・1,157ccエンジンがある。
  5. ^ 釣りにおける箴言「鮒に始まり鮒に終わる」のもじりで、ベーシックカーであるパブリカに乗ることを、釣りの初歩ともされるフナ釣りになぞらえたものである。
  6. ^ パブリカ店の開業以前、1957年にディーゼル店が開業しており、厳密には第3の販売網ではない。ただしディーゼル店は全国に展開されず大都市圏のみの展開に留まった(展開されなかった地域では、同地域のトヨタ店でディーゼル店扱いの車種を販売していた)ため、全国展開された販売網としてはパブリカ店が第3の販売網となる
  7. ^ ディーゼル店におけるパブリカ(およびパブリカ店・カローラ店扱いの乗用車各車種)の取扱はあくまでも経営難に陥った販社の救済策と位置づけていたが、これがきっかけとなってディーゼル店の販売の主力は乗用車に移行し、1970年代半ばまでに東京・大阪・名古屋以外のディーゼル店はカローラ店に鞍替えした(大阪トヨタディーゼルは1972年にトヨタカローラ大阪と合併)。最終的には1980年に東京トヨタディーゼルが解散し、1989年に名古屋トヨタディーゼルが「トヨタカローラ名都」に社名を変更したことでディーゼル店は消滅した。
  8. ^ 当初、燃料タンクキャップのフィラーバーで計測し、残り4Lを切ると残量警告灯が点灯する仕様であった。
  9. ^ その後の日本車のアウタードアハンドルの形状においてはフラップ形のアウタードアハンドルが長きに渡って主流となる。なお、2000年代以降はごく一部のトラック・ライトバンや低廉系の乗用車を除き、フラップ形のアウタードアハンドルに代わって取手(グリップ)形のアウタードアハンドルが主流となる。

出典

  1. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第13号3ページより。
  2. ^ 朝日新聞・昭和39年6月5日及び7日記事
  3. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第79号7ページより。






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