テポストランのドミニコ会修道院とは? わかりやすく解説

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テポストランのドミニコ会修道院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 08:25 UTC 版)

ポポカテペトル山腹の16世紀初頭の修道院群」の記事における「テポストランのドミニコ会修道院」の解説

テポストラン (Tepoztlán) は、モレロス州にある美し景観の町である。1521年スペイン人占領された。その後しばらくしてドミニコ会士たちがやってきて、先住民族たちのキリスト教化目的として修道院建設した。 かつてのドミニコ会修道院博物館転用されている。1559年から1580年にかけて建設されたこの修道院聖母マリア誕生捧げられたもので、要塞のような外観呈している。1588年完成した付属聖堂の壁には当時フレスコ画残っており、カトリック教義関わりのある絵を見ることができる。 聖堂ファサードはプレテレスコ様式 (plateresque) で、両側に塔を支え控え壁がある。塔は1839年地震損壊した後に再建されたものである。扉の上には、幼子イエスを抱く聖母マリア、それを取り囲むような2人聖人聖ドミニコ聖カタリナ)と碑文書かれた幕を持つ2体の天使など、様々な宗教的なシンボル彫られている。 単一身廊から成る教会の奥は、尖頭リブのあるヴォールトに続く後陣になっている聖堂2階建ての回廊繋がっている。回廊周りにはコミュニティ2階)とセル1階)を用いた部屋作られている。聖堂右側には、16世紀彫られ十字架残っている。

※この「テポストランのドミニコ会修道院」の解説は、「ポポカテペトル山腹の16世紀初頭の修道院群」の解説の一部です。
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