テニスコート‐の‐ちかい〔‐ちかひ〕【テニスコートの誓い】
球戯場の誓い
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球戯場の誓い(きゅうぎじょうのちかい、仏: Serment du Jeu de paume、英: Tennis Court Oath)とは、フランス革命直前の1789年6月20日、三部会の第三身分議員がヴェルサイユ宮殿の球戯場(ジュ・ド・ポームのコート)に集まり、憲法制定まで解散しないことを誓い合った出来事。なお、「球技場の誓い」と表記される他、英語の重訳からテニスコートの誓いと呼ばれることもある。
- 1 球戯場の誓いとは
- 2 球戯場の誓いの概要
テニスコートの誓い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:10 UTC 版)
国民議会の議長バイイはこれに抗議して隣接する球技場になだれこみ、国王の命令に反して決議を行った。「国民議会は憲法が制定され、それが堅固な土台の上に確立するまで決して解散しないことを誓う」ことが決められた。これがのちに「テニスコートの誓い」と呼ばれるようになった。6月23日に三部会が招集されたが、4000人の軍隊が出撃の準備を整えていた。国王ルイ16世は高級貴族と近衛兵に囲まれて議場に入場すると「国王の承認しない議案は一切無効である」と宣言した。そして身分別に議決を行うことを命令し、貴族の政治的特権と減免税特権は尊重し、維持すること、封建的特権は財産として尊重することなどを宣言した。これによって国王と国民会議は全面的対決となった。国王が退出すると三部会は解散の命令を受けた。
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