チャーバーン
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チャーバーン伯爵ブンマー (พระยาจ่าบ้าน บุญมา) は、トンブリー王朝によって擁立されたチエンマイの国主である。
- 1 チャーバーンとは
- 2 チャーバーンの概要
チャーバーン
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チャーバーンは先だって1771年、ビルマに戦争を仕掛けるが、手勢は300人程度で、ほとんど武装していない烏合の衆であり、多勢に無勢で子が戦死するなどして負けた。この頃のラーンナーはタークシン派とビルマ派に分離しており、互いにしのぎを削っていた。この後、寮内のカーウィラと共にトンブリーまで行き、タークシンに加勢させ、1774年ついにチエンマイを陥落させた。 この後、チャーバーンはワット・プラタートハリプンチャイで正式にチエンマイの王位に就き、トンブリー王朝の朝貢国となった。この際、カーウィラはタークシンに姪を捧げ、また妹(タイ語版)をチャオプラヤー・スーラシー(ブンマー)(英語版)と結婚させ、トンブリーないしチャクリー王朝との連帯関係を築いていた。 この頃のチエンマイは混乱と度重なる戦争で廃墟と化しており、深刻な食糧不足に見舞われた。このためチャーバーンは仕方なく1776年ラムパーンに遷都するが、1779年、タークシン王の怒りを買って牢獄に入れられ死亡した。後、タークシンの乱心が顕になると、ラーマ1世が即位し、チエンマイ王にはカーウィラが指名された。
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